河尻氏
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河尻氏(かわじりし)とは、日本の氏族で、武家である。織田信長の重臣として活躍した河尻秀隆が著名である。川尻とは異なるので注意。
概要[編集]
肥後国飽田郡河尻荘(現在の熊本市河尻町)を発祥とする。醍醐源氏の末裔とされ、源高明の子孫とされている。鎌倉時代初期の建久年間(1190年から1199年)に、河尻実明が河尻荘の地頭として下向し、河尻城主として支配した。室町時代に没落し、河尻秀隆の時に尾張国の織田信秀、そしてその子の信長に仕えて重臣となって活躍。天正10年(1582年)の武田征伐の後には甲斐国を与えられて大名となった。しかし、同年に本能寺の変が起きて信長が死去すると、旧武田領で旧臣による一揆が起こり、その中で秀隆は殺害されて没落した(天正壬午の乱)[1]。
秀隆の長男・直次は豊臣政権下で大名となるが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗北して戦死あるいは自害して改易。その弟で秀隆の次男である鎮行は江戸幕府の旗本となり、その子孫は存続した[1]。