武田八幡宮
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武田八幡宮(たけだはちまんぐう)とは、現在の山梨県韮崎市神山町北宮地1185に存在する神社である。
概要[編集]
社伝によると、日本武尊の子である武田王がこの地に封じられて死去した際、土地の人間がその居館跡に祠を建立して武田武大神(たけだたけのおおかみ)と称したのが起源であるとされている。
この神社は甲斐源氏の流れを汲む甲斐武田氏から氏神として深く崇敬され、現在の社殿は天文10年(1541年)に父の武田信虎を追放したばかりの武田信玄が再建したものと言われている。この信玄が再建した本殿は三間社流造・桧皮葺で、木鼻・蛙股・内部扉などに当時の特色を示しており、構造や木割も雄大な室町時代の遺構を現在に伝える貴重なものであるため、昭和4年(1929年)に国の重要文化財に指定されている。
社宝として、信玄が奉納したといわれる備前兼光の太刀や大薙刀がある。また、天正10年(1582年)に織田信長・徳川家康連合軍による武田征伐が開始された際、武田勝頼の当時の正室であった北条夫人が2月19日に「悲しきかな神慮誠あらば運命この時に至るとも、願わくば霊神力を合わせ勝つことを勝頼一身につけしめたまい」と勝頼の戦勝を祈願する願文を一通出しており、これも社宝となっている。ただし、この祈願は届かず、勝頼と北条夫人は織田軍の追討にあって3月11日に自殺している。
祭神は武田武大神のほかに、足仲津彦命、誉田別命、息長足姫命などである。