森島康仁

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
サッカーボール.jpg 森島康仁
選手情報
本名 森島康仁
英字表記 Yasuhito Morishima
生年月日 1987年9月18日(36歳)
出身地 日本兵庫県
身長 186 cm
体重 80 kg
ポジション フォワード
クラブチーム
2006-2008
2008-2013
2014
2015-2016
2019-2021
セレッソ大阪
大分トリニータ
川崎フロンターレ
ジュビロ磐田
藤枝MYFC
サッカーボール.jpg
28
このサッカー選手の記事はウィキペディアで日本語版など28言語版にあります。

森島康仁(もりしま やすひと、1987年9月18日 - )は日本サッカー選手。

来歴[編集]

2007年はFWの核だった西澤明訓大久保嘉人の移籍もあり、出場機会が大幅に増加し合計6得点を挙げる。また、U−20ワールドカップでも2得点を挙げ、U-22日本代表でもスタメンを任されるまでに成長した。

2008年は小松塁柿谷曜一朗などとのポジション争いに敗れ、試合出場機会が減少したため、7月に出場機会を求めて大分トリニータにレンタル移籍。大分ではJ1初先発初ゴールを経験した。2008年9月にはUAE戦とウズベキスタン戦に臨む日本代表に初選出されたが、出場機会はなかった。2009年から大分に完全移籍。その際大分がC大阪に支払う多額の移籍金が発生し、図らずもこのシーズン中に発覚する大分の財政危機の一つの原因を作ってしまった。翌2010年までは不調の時期が続き、前述の経緯も相まり、一部の選手に、シーズン前の選手の大量放出の原因(事実、この経営危機の最中に上本大海清武弘嗣高橋大輔が森島の所属していたC大阪に揃って移籍している。これは大分が森島の移籍金支払いを分割で支払うとしていたため、シーズン中に発覚した経営危機により500万円以上の支出がリーグ側より原則禁止とされたことにより移籍金支払いが滞り、その相殺分として三人が移籍したと考えられる。)を森島のせいと、厳しく責められたり、一部の過激なサポーターより殺害予告されるなどの脅迫を受け続け、身の危険を感じた森島はクラブ側の勧めもあり住居を転々とする事態まで追い込まれた[1]

2011年に大分の監督に田坂和昭が就任すると生活態度などを改め、心機一転した結果リーグ戦11ゴールと初の2桁得点を達成した。2012年はリーグ戦14得点と前年を上回るゴールを決め、J1昇格プレーオフ準決勝・京都サンガFC戦では自身初の1試合4得点を記録。決勝・ジェフユナイテッド千葉戦では林丈統の決勝点をアシストするなど大分のPO優勝及び4年振りのJ1昇格に大きく貢献した。

人物[編集]

  • 愛称の「デカモリシ」「デカシ」はセレッソ大阪時代に付いたもの。小柄な森島寛晃と同じ「森島」という苗字だったため、そう呼ばれるようになった。
  • FIFA U-20ワールドカップ・カナダ大会で本人とともに選出され活躍した、柏木陽介選手とは同じ年、同県出身者であり、旧知の仲である。また、2007年度の成人式では柏木とともに地元の成人式に出席し、その模様がやべっちFCでも放送された。
  • 大分に来た直後から、勝利の後のパフォーマンスなど、持ち前の明るさでサポーターを盛り上げている。シーズン終盤ではマイクを持てば仕切りだす、という期限付き移籍の選手とは思えない姿を見せた。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
C大阪 リーグ Jリーグ杯
2006 J1 25 2 0 0 0
2007 J2 20 33 6 -
2008 20 9 1 -
通算 44 7 0 0
大分 リーグ Jリーグ杯
2008 J1 9 15 2 4 0
2009 9 9 1 1 0
2010 J2 9 25 2 -
2011 20 35 11 -
2012 20 37 14 -
2013 J1 20 30 7 5 1
通算 151 37 10 1
川崎 リーグ Jリーグ杯
2014 J1 9 12 2 2 0
通算 12 2 2 0
磐田 リーグ Jリーグ杯
2015 J2 20 26 3 -
2016 J1 20 15 1 3 0
通算 41 4 3 0
藤枝 リーグ Jリーグ杯
2019 J3 20 32 16 -
2020 20 26 5 -
2021 20 4 0 -
通算 62 21 0 0
総通算 310 71 15 1

出典[編集]

外部リンク[編集]