森山眞弓

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森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年昭和2年)11月7日 - 2021年令和3年)10月14日[1])は、日本官僚労働官僚)、政治家。旧姓名は古川 眞弓[2]。労働省婦人少年局長、参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、環境庁長官内閣官房長官(女性初)、文部大臣法務大臣白鷗大学学長(2007年2月〜2013年3月)などを歴任した。尾崎行雄記念財団理事長及び同財団「咢堂塾(がくどうじゅく)」塾長[3]を務める。女性初の官房長官として知られる。

来歴[編集]

東京府出身。夫は運輸大臣だった森山欽司で、長女、次女あり。

津田塾専門学校(現在の津田塾大学)を卒業して東京大学へ入学し、旧労働省で婦人少年局長などを務める。男女雇用機会均等法の整備に尽力し、同時に女性キャリア官僚の草分け的存在になった。

昭和55年(1980年)、自民党から参議院議員に転身し、参議院を3期、衆議院を4期務める。平成元年(1989年)に海部俊樹内閣の環境庁長官として初入閣するが、わずか半月後に女性スキャンダルで山下徳夫の辞任を受けて、後任の官房長官に横滑りする。これは2021年現在で他に例がない官房長官の女性就任である。在任中は大相撲の優勝力士に贈る内閣総理大臣杯を「土俵の上で渡したい」と要望するが、日本相撲協会女人禁制の伝統を理由に拒否したので、女性差別として議論を巻き起こした。

宮澤喜一内閣では文部大臣に就任し、平成5年(1993年の選抜高校野球大会で春夏を通じて女性で初めて始球式のマウンドに上がった。小泉純一郎内閣では法務大臣を務め、さらに白鴎大学長を務めた。

私生活ではカメラの愛好家として知られるとともに、夫も議員でおしどり議員として知られていた。令和3年(2021年)10月14日午後1時52分、老衰のため、東京都内で死去した。93歳没。

著作[編集]

洋書[編集]

編集[編集]

  • 『太郎』 東京書房社、1973年7月NDL20099220 NDL92043126NCIDBA54501998
    • 1973年(昭和48年)1月に高校1年生で事故のため逝った長男について、友人や先生、親戚、家族が綴った追想・追悼文集。

編著[編集]

共編著[編集]

翻訳[編集]

  • キャスリン=ノット 『福祉国家の明暗 スウェーデンの印象』 河出書房新社、1964年9月NDL64010699NCIDBN05878528

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. 森山真弓・元官房長官が死去共同通信、2021年10月18日配信
  2. 工藤幸雄『ぼくの翻訳人生』p.38(中公新書2004年
  3. http://www.ozakiyukio.or.jp/aboutus/index.html