林藩

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが林藩の項目をおカタく解説しています。

林藩(はやしはん)とは、江戸時代前期に伊勢国に短期間存在したである。藩主家は外様大名織田氏。藩庁は林陣屋。現在の三重県津市(旧安芸郡芸濃町)に存在した。

概要[編集]

織田信長の実弟・織田信包は信長の死後、豊臣秀吉の家臣となった。信包の長男の織田信重も秀吉に仕えて林に1万石の所領を与えられていた。慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去すると、信重は徳川家康に仕えた。

慶長19年(1614年)、信包が72歳で死去し、その家督と丹波国柏原藩3万6000石の所領は信重の弟の織田信則が継承することになり、これに不満を抱いた信重は家康に弟の相続の取り消しを求めるが、家康は信則の相続は信包の遺言であるとして却下し、逆に信重に非があるとして翌慶長20年(1615年)に林藩を改易とした。こうして林藩は廃藩となって消滅した。

歴代藩主[編集]

織田家

1万石。外様

  1. 信重(のぶしげ)〔従五位下、民部大輔〕