斎藤晴造

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斎藤 晴造齋藤 晴造[1]、さいとう せいぞう、1911年5月19日 - 1983年12月31日)は、宇野派のマルクス経済学者。東北大学名誉教授。

経歴[編集]

東京都中央区日本橋室町一丁目生まれ[2]。長兄は「白樺」同人、三兄は春陽会の重鎮画家。常盤小学校を経て、東京高等学校に入学。在学中に治安維持法違反で検挙され[3]、1931年東京高等学校理科乙類二学年中退。1936年東北帝国大学法文学部経済科に聴講生として入学[2]宇野弘蔵らの指導を受けた[3]。1938年に宇野弘蔵が人民戦線事件に連座して検挙されたことに伴い、大島清内藤知周中込武雄らとともに検挙されたが、不起訴[4][5]。1940年本科生に編入[2]。1941年7月宇野弘蔵とともに財団法人日本貿易振興協会日本貿易研究所に入所[2][3]。1941年9月東北帝国大学法文学部経済学科卒業[2]。1944年財団法人三菱経済研究所に入所(1950年まで)。1947年商工省調査統計局経済構造研究室嘱託(1948年まで)。1950年東北大学経済学部講師、1951年助教授、1956年教授[2]。日本経済論と産業論の講義を担当[3]。1961年「ドイツ銀行史研究」で経済学博士(東北大学)[6]。1964年宮城地方最低賃金審議会委員(1980年まで)。1972年日本学術会議会員。1975年停年退官、東北大学名誉教授。1978年愛知大学法経学部教授。1983年勲三等瑞宝章受章[2]。1983年の大晦日に蔵王の山小屋で急逝。72歳没[3]

人物[編集]

日本資本主義の構造論、ドイツ経済・金融史論を研究した[3]。前者の分野の代表作に『輸出ブラシ工業(上・中)』(内田穰吉共著、日本貿易研究所編、大同書院、1942年)、『日本における農業と資本主義』(宇野弘蔵鈴木鴻一郎大内力共著、実業之日本社、1948年)、『七十七年史』(中村重夫中村吉治共著、七十七銀行、1954年)、「戦争による農業構造の変化」(大内力編『現代日本資本主義大系Ⅲ 農業』弘文堂、1957年)、『過疎の実証分析――東日本と西日本の比較研究』(編著、法政大学出版局、1976年)、後者の分野の代表作に『金融論』(大島清加藤俊彦玉野井昌夫共著、東京大学出版会、1960年)、『ドイツ銀行史の研究』(法政大学出版局、1977年)がある[3]

栗原百寿大島清は学生時代以来の共通の友人で生前もっとも交友が深かった[7]高田富之によると、高田が大学2年生のとき、有志数人が資本論研究会をやるようになり、茨木薫、栗原百寿、斎藤晴造、副島種典らが中心的役割を担っていた[8]。副島種典によると、副島が大学3年生のとき、1つ年上の斎藤が入学した。斎藤は副島らを中心とした経済学科で学友会と称する自治会をつくる運動に参加した。すでに始められていた資本論研究会にも参加した[9]大島清によると、学生たちが下宿に集まって資本論について議論をするとき、斎藤が中心になっていた。当時の仲間には同姓同名の2人の大島清、鎌田正三一柳茂次志賀金吾大友福夫内藤知周らがいた。少し前に栗原百寿、副島種典らがいた[10]

1937年に有沢広巳が統計学の非常勤講師として集中講義に来たとき、向坂逸郎大森義太郎も仙台を訪れたため、宇野弘蔵との座談会を学生が主催したが、特高警察から革命運動に関係あるものとされ、宇野や大島清、内藤知周らとともに検挙された。停学処分を受けたが、不起訴となり復学した[5]

日本貿易研究所でともに宇野の下で働いた同僚に原田三郎がいる[11]

著書[編集]

  • 『日本における農業と資本主義』(宇野弘蔵鈴木鴻一郎大内力共著、実業之日本社、1948年)
  • 『金融論』(大島清加藤俊彦、玉野井昌夫共著、東京大学出版会、1960年)
  • 『資本主義の農業問題』(菅野俊作共編、日本評論社、1967年)
  • 『過疎の実証分析――東日本と西日本の比較研究』(編著、法政大学出版局、1976年)
  • 『ドイツ銀行史の研究』(法政大学出版局、1977年)

出典[編集]

  1. 齋藤晴造、菅野俊作編『資本主義の農業問題』日本評論社、1967年
  2. a b c d e f g 「経歴」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
  3. a b c d e f g 菅野俊作「故斎藤晴造先生の経歴と業績」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
  4. 鎌田正三「斎藤晴造君を偲んで」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
  5. a b 鎌田正三「回想・畏友 大島清君」『帝京経済学研究』28巻1号(通巻34号)、1994年12月
  6. CiNii 博士論文
  7. 栗原百寿著作集編集委員会編『栗原百寿著作集 10 哲学・思想・歴史論論集』校倉書房、1988年
  8. 高田富之「宇野理論と政治」、宇野マリア編『思い草――宇野弘蔵追悼文集』宇野マリア、1979年
  9. 副島種典「長い交友、そして奇縁」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
  10. 大島清「斎藤君の想い出」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
  11. 内田穰吉「日本貿易研究所と学術会議――思い出の晴造君」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年