内田穰吉
内田 穰吉(うちだ じょうきち、1912年1月2日 - 2002年)は、マルクス経済学者。元・富山大学教授、奈良県立短期大学学長。専攻は経済学(方法論、現代資本主義論)、比較社会史[1]。
経歴[編集]
福井県今立郡五箇岩本村(現・越前市)生まれ。戸籍上は1912年1月2日生まれだが、実際は1911年11月14日生まれ。実家は酒造家[2]。福井県立武生中学校卒。1934年和歌山高等商業学校(現・和歌山大学経済学部)卒、大阪毎日新聞社に入社し経済部記者。1937年エコノミスト編輯部記者。1938年退社。1941年財団法人日本貿易振興協会日本貿易研究所に入所し産業部に勤務。和歌山高商在学中、共産主義運動に従事したとして2度にわたり治安維持法違反で検挙、起訴猶予処分。大阪毎日新聞社在勤中、エコノミスト誌上に「半封建論争物語」を連載し、これをもとにした『日本資本主義論争』を刊行したことなどにより3度目の検挙、1940年12月26日大阪地裁で懲役2年執行猶予3年。日本貿易研究所在勤中の1943年3月15日、輸出ブラシ工業の調査・研究・出版が治安維持法違反にあたるとして同僚とともに検挙された(日本貿易研究所事件)。ブラシ工業の調査研究の基盤に講座派の理論があると捉えられ、日本共産党やコミンテルンの「目的遂行ノ為ニスル行為」にあたるとして治安維持法第1条違反で起訴されたが、1945年8月20日の大阪地裁判決ではブラシ工業の部分は免訴され、些細な左翼的言動が治安維持法第5条違反にあたるとして懲役1年6ヶ月の有罪判決を受けた。判決後、未決勾留日数を超えているため釈放された[3]。
戦後、毎日新聞社大阪本社員、産業新聞社顧問を経て[2]、1956年富山大学経済学部教授[4]。1962年「戦後日本独占資本主義史論」で経済学博士(九州大学)[5]。1963年阪和育英会理事[4]。1964年日本学術会議会員。1970年奈良県立短期大学長[1]。1973年奈良県地方労働委員会会長[4]。全国公立短大協会会長も務めた[6]。1950年代の日本帝国主義復活論争では小野義彦、佐藤昇とともに自立論を展開し、従属経済論を批判した[7][8]。著書に講座派の立場から日本資本主義論争を整理した『日本資本主義論争』(清和書店、1937年/上・下、新興出版社、1949年)[9]、博士論文をもとにした『戦後日本独占資本主義史論』(日本評論新社、1961年)などがある。『日本資本主義論争』の基になった『エコノミスト』の連載「半封建論争物語」(1936年2月11月号から12回)は同誌編集部員の高内俊一が同誌に連載した「現代日本資本主義論争」(1960年11月8日号~1961年3月21日号)はとしばしば対比される[10]。
人物[編集]
- 宮川実の弟子。戦後は大阪労働大学などで労働者の教育啓蒙の活動に従事した[11]。
- 1933年3月に日本通信労働組合粟田部分会を結成したが、同年9月20日に一斉検挙にあった[12]。
- 渡部徹は『近代日本労働者運動史』(白林社、1947年)を刊行した際、共産党関西地方委員会にいた内田から「査問」を受けたという[13]。
- 思想運動研究所編『大学別左翼教授総覧』(全貌社、1974年)によれば、「かつては共産党系のマルキストであったが、現在は「社会党をよくする会」の支持者」だとされる。
著書[編集]
単著[編集]
- 『日本資本主義論争』(清和書店、1937年/上・下、新興出版社、1949年)
- 『歌集 たたかひの獄』(新興出版社、1948年)
- 『労働者の経済学(上)』(大月書店、1948年)
- 『一般的危機の経済学――労働者の経済学(上・下)』(大月書店、1950年)
- 『戦後日本独占資本主義史論』(日本評論新社、1961年)
- 『エッセイ集 知識と社会』(日本評論社、1972年)
- 『小歌集 巴里から巴里へ』(内田穣吉、1975年)
- 『社会と人生の間』(日本評論社、1982年)
- 『比較文明――中国とメキシコの旅から』(日本評論社、1982年)
- 『内田穰吉詩集』(関西書院、1985年)
- 『成長する企業は世界を眺める』(南海道総合研究所[南海道叢書]、1992年)
- 『長歌春秋――歌集』(千代田永田書房[あけび叢書]、1996年)
共著[編集]
- 『日本資本主義論争 上巻 歴史篇 民主革命の課題をめぐって』(中野二郎共著、新興出版社、1952年)
- 『戦後日本の政治と経済――民族的課題、農業問題をめぐって』(古畑義和共著、新興出版社、1953年)
- 『歌集 訪中学術代表団』(山形敞一共著、桜楓社、1980年)
編著[編集]
- 『経済学講座(全5巻)』(島恭彦、松井清、遊部久蔵、宇佐美誠次郎、宇高基輔、長洲一二共編、大月書店、1954-1955年)
- 「第3巻 現代資本主義の経済と政治Ⅱ」(島恭彦、松井清共同責任編集者、大月書店、1954年)
- 『講座 現代日本の経済と政治(全4巻)』(小野義彦、勝部元、狭間源三、古畑義和共編、大月書店、1958-1959年)
- 『最大限利潤の法則』(編、大月書店、1955年)
- 『生産性向上運動批判』(編、大月書店、1956年)
- 『日本の生産地帯――現地ルポ』(編、大月書店、1956年)
- 『公立大学――その現状と展望』(佐野豊共編、日本評論社、1983年)
- 『アメリカのコミュニティ・カレッジ』(小牧治共編、三省堂[三省堂選書]、1987年)
出典[編集]
- ↑ a b 内田穰吉『内田穰吉詩集』関西書院、1985年
- ↑ a b 内田穰吉『エッセイ集 知識と社会』日本評論社、1972年
- ↑ 広川禎秀「大阪商大事件と二瓶正夫 : 二瓶正夫『夜明けを前にして : 私の道程」によせて」『大阪市立大学史紀要』5巻、2012年10月
- ↑ a b c 『阪和育英会15年史』阪和育英会、1972年
- ↑ CiNii 博士論文 - 戦後日本独占資本主義史論
- ↑ 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』平凡社、1987年、144頁
- ↑ 菱山郁朗「七-(3)―現代日本資本主義論争と『構造改革論』―」江田五月のウェブサイト
- ↑ しまねきよし「佐藤昇」朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、582-583頁
- ↑ 小山弘健編『日本労働運動社会運動研究史――戦前・戦後の文献解説』三月書房、1957年
- ↑ エコノミスト編集部編『大正・昭和経済史――『エコノミスト』半世紀の歩み』毎日新聞社、1979年
- ↑ 堀江邑一「推薦のことば」、内田穰吉 『労働者の経済学(上)』大月書店、1948年
- ↑ 『福井県史』通史編6 近現代二 福井県立図書館
- ↑ 黒川伊織「渡部徹の歴史学 : 関西・社会運動史研究史序説 (特集 社会運動史研究のメタヒストリー)」『大原社会問題研究所雑誌』741号、2020年7月
関連文献[編集]
- 梅根悟『大学教育論』(誠文堂新光社、1970年)