原田三郎
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原田 三郎(はらだ さぶろう、1914年1月15日[1] - 2005年)は、マルクス経済学者。東北大学名誉教授、岩手大学名誉教授[2]。
経歴・人物[編集]
愛知県碧海郡明治村(1955年に安城市・碧南市・西尾市に編入)出身[1]。1934年旧制第八高等学校文科甲類卒業[3]。1937年東北帝国大学法文学部法科卒業[4]。安田銀行に入行[1]。調査部に2年間勤務[5]。1942年財団法人日本貿易振興協会日本貿易研究所員[6]。研究所は入所後2年余りして事実上解散となり[5]、1944年財団法人金融経済研究会(1948年財団法人金融経済研究所に改称)に入所[7]。1949年東北大学経済学部助教授、1953年教授。1949年から国際経済論、1953年から1955年まで経済学史、1955年から経済政策論を担任した[8]。また経済学部長を務めた[2]。1962年「経済学の体系と帝国主義論の理論的位置」で経済学博士(東北大学)[9]。1977年停年退官[10]。岩手大学人文社会科学部教授[11]。1980年から1986年まで岩手大学学長[12]。2005年没。享年91歳[11]。
日本貿易研究所で宇野弘蔵、金融経済研究所で永田清の指導を受けた[5]。安田銀行調査課の後輩、金融経済研究所の同僚に藤塚知義がいる[13]。日本貿易研究所で宇野の下で働いた同僚に斎藤晴造がいる[14]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『イギリス資本主義の研究――特にその世界経済的断面』(日本評論社、1949年)
- 『春夏秋冬』(原田三郎、1986年)
- 『ある男の俳句人生――生涯素人の句集』(原田さぶろう著、文芸社、2000年)
共編著[編集]
- 『帝国主義論コメンタール』(庄司哲太共著、ミネルヴァ書房[社会科学選書]、1973年)
- 『資本主義と国家』(編、ミネルヴァ書房、1975年)
訳書[編集]
- アーノルド・トインビー『英國産業革命史』(川喜多孝哉、斎藤泰次郎、杉浦滋、原田檀訳、高山書院、1943年)
- 『英國産業革命史』(川喜多孝哉、斎藤泰次郎、杉浦滋共訳、原田三郎改訂補、高山書院、1948年)
- 『イギリス産業革命史(上)』(原田三郞他訳、日本評論社[世界古典文庫]、1951年)
- 『イギリス産業革命史』(創元社[創元文庫]、1953年)
- E. H. カー『ソヴェト革命史』(田中菊次、服部文男共訳、みすず書房[現代史大系]、1959年)
- 『ボリシェヴィキ革命――ソヴェト・ロシア史 1917-1923 第1巻』(田中菊次、服部文男共訳、みすず書房、1967年)
出典[編集]
- ↑ a b c 人事興信所編『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1953年、は72頁
- ↑ a b 原田三郎 みすず書房
- ↑ 作道好男、江藤武人編『伊吹おろしの雪消えて――第八高等学校史』財界評論新社、1973年、723頁
- ↑ 原田三郎、庄司哲太『帝国主義論コメンタール』ミネルヴァ書房、1973年
- ↑ a b c 原田三郎『イギリス資本主義の研究――特にその世界経済的断面』日本評論社、1949年
- ↑ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第23版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1963年、569頁
- ↑ 『金融経済研究所五十年史』金融経済研究所、1979年、187頁
- ↑ 東北大学五十年史編集委員会編『東北大学五十年史 下』東北大学、1960年
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 『研究年報経済学』第38巻第4号、1977年3月
- ↑ a b 藤村紀行「原田三郎先生を偲んで」『七友会だより』第21号(PDF)岩手大学人文社会科学部同窓会、2005年7月30日
- ↑ 岩手大学創立50周年記念誌編集委員会編『岩手大学五十年史』岩手大学、2000年
- ↑ 『金融経済研究所五十年史』金融経済研究所、1979年、216頁
- ↑ 内田穰吉「日本貿易研究所と学術会議――思い出の晴造君」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年、117頁