岡国高
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岡 国高(おか くにたか、生没年不詳)は、戦国時代の武将。松永久秀の家臣。受領名は周防守。
略歴[編集]
大和国の戦国大名・松永久秀に仕えた家臣。永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、久秀と共に義昭・信長に従った。
しかし義昭と信長の対立が始まり、義昭による信長包囲網が画策されると、久秀は信長に対抗するため、元亀2年(1571年)に甲斐国の武田信玄と通じたが、その仲介を務めたのが国高であったとされている。武田方の仲介役は小幡信実であった。しかし、元亀4年(1573年)4月に信濃国において信玄は陣没し、信長包囲網は瓦解する。すると国高は久秀より早くに信長に降って許されている。後に久秀も信長に再度従った。
しかし天正5年(1577年)、久秀は再度信長に背いた。この際、国高は信長から久秀に従わないように警告を受けているが、久秀に味方して信貴山城の戦いにおいて久秀と共に戦死したとされている。
ただ、天正8年(1580年)10月22日に2000石を安堵された「岡」なる人物が『多聞院日記』に見えることから、久秀に味方せずに存命していたのではないかとする説もあり、この辺りは不明である。