家本政明

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家本政明 (いえもと まさあき、1973年6月2日 - ) は広島県福山市出身の元サッカー審判員。

経歴[編集]

同志社大学経済学部卒。もともとはサッカー選手としてプレーしていたが、大学時代に病気により選手の道を断念。1996年京都パープルサンガに就職し、同年に1級審判員の資格を取得した。

2002年からJリーグの試合で主審を務めるようになり、2005年から2016年までは国際審判員としても活動した。カップ戦の決勝などのビッグマッチでも主審を務める機会が増えたが、相次ぐトラブルや誤審 (後述) により「日本一嫌われた審判」とまで言われるようになってしまった。しかし2017年以降、レフェリングスタイルの再構築に取り組んだ結果、選手やファンからの好感度を得られ、再びビッグマッチの主審を任されるようになっていった。

2021年7月17日J1リーグ第20節、サガン鳥栖名古屋グランパス戦で史上最多となるJリーグ通算503試合出場を達成。同年11月1日[1]に2021シーズン限りでの審判員引退を発表した。12月4日のJ1最終節、横浜F・マリノス川崎フロンターレ戦が自身最後のJリーグ主審担当試合となり、試合終了後は両チームの選手がつくった花道を通ってピッチを後にし、また両チームから記念のユニフォームが贈られた。同年末には那須大亮主催のオールスターサッカーでも主審を務めた。

話題になった試合[編集]

2008年3月1日 XEROX SUPER CUP鹿島アントラーズサンフレッチェ広島

毎年スーパーカップはその年最初のJリーグ公式戦であり、かつその年の判定基準が示される試合でもある。しかしこの状況のもと、競技規則に忠実にジャッジをした[2]結果前半で両チームとも1人ずつが退場[3]し、さらには後半33分に広島が得たPKを鹿島のGK・曽ヶ端準がセーブしたが、キッカーがけるよりも前に曽ヶ端が動き出したことを指摘し蹴り直しを指示。試合は90分を2対2で終えPK戦に突入したが、そこでも曽ヶ端が2度蹴り直しを指示されている。この2度目の蹴り直しを広島の佐藤寿人が決めたことにより決着がつき、鹿島サポーターが試合終了後のピッチに乱入するなど会場の国立競技場は一時騒然となった。さらには試合終了後にも、鹿島の選手が抗議したことにより2人[4]にイエローカード、大岩剛にレッドカードが提示され、試合全体でイエローカードが11枚、レッドカードが3枚も提示される展開となった。

2017年8月16日 J2リーグ第28節/FC町田ゼルビア対名古屋グランパス

後半42分、名古屋の青木亮太が町田の深津康太奥山政幸に挟まれる形で倒され、家本は一旦レッドカードを提示。しかし実際に退場させられたのは、プレーに関与していない平戸太貴だった。後日これが誤審だと認められ、この退場による処分は深津に付け替えられた。また家本は2試合の割り当て停止処分を受けている。

この試合に関して、家本は2022年4月16日TBS系列で放送された『炎の体育会TV』で、当該の試合の数日前に妻が流産したことにより精神的にピッチに立てる状況でなかったことを振り返っている。

脚注[編集]

  1. この前々日となる10月30日にはルヴァンカップ決勝、名古屋グランパス対セレッソ大阪戦の主審を務めた。
  2. 【手記】“日本一嫌われた審判”家本政明が綴る半生 ゼロックス杯の悲劇「僕は評価と規則の奴隷」だった - Sports Graphic Numbe
  3. 前半12分に鹿島の岩政大樹 (2度目の警告による累積) 、前半38分に広島の李漢宰
  4. 曽ヶ端準と中後雅喜