守谷藩
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守谷藩(もりやはん)は、江戸時代初期のわずかな期間だけ下総国に存在した藩である。藩庁は守谷陣屋。藩主家は譜代大名の土岐氏。現在の茨城県守谷市(旧北相馬郡守谷町)に存在した。
概要[編集]
徳川家康の家臣・土岐定政は天正10年(1582年)に武田勝頼と織田信長が死去して甲斐国が徳川領になると、家康から甲斐国巨摩郡に1万石を与えられた。天正18年(1590年)に家康が関東に移るとそれに従い、下総国相馬郡に所領を与えられて守谷に陣屋を構え、守谷藩を立藩した。
慶長2年(1597年)に定政は死去し、その跡を子の定義が継承する。元和3年(1617年)、定義は1万石加増の2万石をもって摂津国高槻藩に加増移封となり、守谷藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
土岐家[編集]
譜代。1万石