太田剛希
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基礎情報 | ||||
四股名 | 影丸 → 太田 | |||
本名 | 太田 剛希 | |||
生年月日 | 1987年8月8日(37歳) | |||
出身 | 徳島県名西郡石井町 | |||
身長 | 168cm | |||
体重 | 135kg | |||
BMI | 47.83 | |||
所属部屋 | 北の湖部屋 → 山響部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西幕下20枚目 | |||
生涯戦歴 | 332勝375敗28休(107場所) | |||
優勝 | 三段目優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2003年3月場所 | |||
引退 | 2021年3月場所 | |||
備考 | ||||
2021年3月31日現在 |
太田 剛希(おおた ごうき、1987年8月8日 - )は、徳島県名西郡石井町出身で、北の湖部屋(2015年11月30日以降は山響部屋)に所属した元大相撲力士。本名同じ。2013年11月時点で身長168cm・体重135kg、血液型はA型[1]。得意手は右四つ、寄り。最高位は西幕下20枚目(2012年9月場所)。
来歴[編集]
幼少期から相撲に親しみ、石井町立高川原小学校在学中には、100kgを超える体重を生かした付き押し相撲で他を圧倒し、4年次から3年連続でわんぱく横綱の座に輝いた。石井町立石井中学校進学後は2年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人優勝と団体3位、3年次は個人準優勝の座に輝くなど数々のタイトルに輝き、複数の大相撲関係者からスカウトを受けたという。中学卒業後は北の湖部屋(第55代横綱・北の湖)に入門した。
身長が入門当初は168cm(現役中に170cmに到達した時期もあった)しかなく、新弟子検査では運動能力試験も行う第二新弟子検査を受検して合格し、2003年3月場所で初土俵、当初の四股名は影丸。同期生には富士東、佐田の海らがいる。前相撲では2連勝で1番出世とし、同場所5日目に部屋の兄弟子である北桜の化粧廻しを借りて新序出世披露を受けた[2]。
初めて番付に名前が載った2003年5月場所は1番相撲で加賀谷に敗れたが、2番相撲から6連勝で6勝1敗。序二段に上がった翌7月場所も土付かずの6連勝としていたが、序二段優勝決定戦への進出が懸かった7番相撲で敗れてしまい、優勝決定戦進出を逃した。しかし翌9月場所は三段目に昇進と、非常に順調な出世だった。
しかし三段目に上がってからは三段目中位で大きく負け越すことが続き、2004年5月場所で序二段に落ちると、膝を故障し3場所全休。同年11月場所では前相撲からの出直しを余儀無くされたが、従来の突き押し相撲から右四つの型へ相撲を変え、序ノ口に復帰した翌2005年1月場所は土つかずの6連勝とし、13日目の7番相撲で長期休場明けの元十両・若天狼に勝てば序ノ口優勝が決まったが、この取組に敗れて6勝1敗5人による優勝決定戦に出場するはこびとなった。優勝決定戦2回戦は巴戦形式で行われ、1番目で大和富士に勝ち、勝てば序ノ口優勝だった2番目は中谷に敗れてしまう。その中谷が3番目で大和富士に勝ったため、序ノ口優勝が中谷に決まり、優勝を逃す形となった。
翌3月場所は序二段の中位まで番付を戻したが、1番相撲と2番相撲でその大和富士と中谷を相次いで撃破すると調子が上がり、7戦全勝となった。序二段の優勝決定戦に進出したが、旭天鵬の実弟である不動山に敗れ、序二段優勝も逃した。翌5月場所以降は三段目に定着したが一進一退が続き、2008年1月場所は2番相撲から6連敗で1勝6敗という大敗を喫した。これを受けて、翌3月場所からは四股名を本名の太田に改名した。
改名後も2009年5月場所で7戦全敗を喫するなど不調が目立ったが、西三段目8枚目で迎えた2010年3月場所で5勝2敗の成績を上げ、翌5月場所でようやく幕下に昇進した。しかし結果は1勝6敗の大敗に終わり、1場所で三段目に戻ってしまった。陥落後も3場所連続で負け越しが続き、東三段目91枚目で迎えた2011年1月場所では1番相撲から3連敗とし、序二段陥落も危惧されたが、そこから4連勝で5場所ぶりの勝ち越し。それ以降は三段目中位の土俵が続いていたが、2012年5月場所は土付かずの6連勝。7番相撲で元十両の出羽鳳を掬い投げで破って7戦全勝。三段目優勝を果たした[3]。翌7月場所は2度目の幕下を西幕下29枚目で迎えたが、同場所で初めて幕下で勝ち越し。翌9月場所は最終的な自己最高位の西幕下20枚目で迎えたが、6連敗の後7番相撲でようやく勝っただけで1勝6敗の大敗。以降は成績が振るわず、翌11月場所も2勝5敗で、2013年1月場所は三段目に再び陥落し、以降幕下に在位することは無かった。2014年1月場所では序二段に陥落。その後は6度三段目に復帰するもいずれも1場所で陥落。
2015年11月場所13日目の同年11月20日に入門時の師匠である北の湖が急逝。日本相撲協会は本場所実施中の緊急措置として、千秋楽までは所属年寄の20代山響を師匠代行とし、所属力士たちが北の湖部屋の力士として出場することを認めた後[4][5]、同年11月30日に理事会において20代山響の師匠就任を承認した。これに伴い、同日に[6]部屋の名称が山響部屋へと変更され[7]、太田もそのまま山響部屋の所属となった。
最後に三段目に在位した場所は2017年11月場所であった。2020年11月場所では序ノ口に陥落し、同場所・翌2021年1月場所と連続で2勝5敗と負け越し。翌3月場所を最後に引退[8]。尚、最終場所となった同場所は山響部屋所属の年寄29代小野川が新型コロナウイルス感染症に感染したと見なされ、太田を含む全ての山響部屋所属力士が濃厚接触者の可能性があるとして全休の措置がなされた。
エピソード[編集]
- 同部屋の元幕内・北太樹の現役時代は付け人として付いており、北太樹の名参謀として活躍していた[9]。
- 上述の通り2013年11月時点では身長168cm・体重135kgの体格で、2006年頃には150kg近くまで増量したが、現役末期には健康を害し、身長163.9cm・体重92kgまで落ちてしまった。
主な成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2003年 (平成15年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口17枚目 6–1 |
西序二段53枚目 6–1 |
西三段目88枚目 4–3 |
東三段目69枚目 2–5 |
2004年 (平成16年) |
西三段目90枚目 4–3 |
東三段目71枚目 1–6 |
西序二段13枚目 休場 0–0–7 |
東序二段84枚目 休場 0–0–7 |
西序ノ口27枚目 休場 0–0–7 |
(前相撲) |
2005年 (平成17年) |
東序ノ口36枚目 6–1 |
東序二段65枚目 7–0 |
西三段目65枚目 3–4 |
西三段目79枚目 4–3 |
東三段目63枚目 4–3 |
東三段目49枚目 2–5 |
2006年 (平成18年) |
東三段目74枚目 4–3 |
西三段目55枚目 3–4 |
西三段目71枚目 5–2 |
東三段目39枚目 4–3 |
東三段目23枚目 3–4 |
西三段目38枚目 4–3 |
2007年 (平成19年) |
東三段目22枚目 3–4 |
東三段目40枚目 4–3 |
東三段目26枚目 2–5 |
東三段目47枚目 4–3 |
東三段目32枚目 5–2 |
東三段目7枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
東三段目18枚目 1–6 |
東三段目49枚目 4–3 |
東三段目32枚目 4–3 |
東三段目20枚目 2–5 |
西三段目45枚目 3–4 |
東三段目55枚目 3–4 |
2009年 (平成21年) |
東三段目73枚目 6–1 |
西三段目18枚目 3–4 |
西三段目31枚目 0–7 |
東三段目81枚目 3–4 |
西三段目96枚目 6–1 |
東三段目36枚目 2–5 |
2010年 (平成22年) |
西三段目62枚目 6–1 |
西三段目8枚目 5–2 |
西幕下48枚目 1–6 |
西三段目21枚目 3–4 |
東三段目39枚目 3–4 |
西三段目53枚目 1–6 |
2011年 (平成23年) |
東三段目91枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
西三段目73枚目 3–4 |
西三段目82枚目 5–2 |
東三段目50枚目 4–3 |
東三段目34枚目 3–4 |
2012年 (平成24年) |
東三段目48枚目 3–4 |
西三段目65枚目 4–3 |
東三段目49枚目 優勝 7–0 |
西幕下29枚目 5–2 |
西幕下20枚目 1–6 |
西幕下42枚目 2–5 |
2013年 (平成25年) |
東三段目5枚目 2–5 |
西三段目26枚目 4–3 |
東三段目15枚目 1–6 |
西三段目46枚目 2–5 |
西三段目75枚目 3–4 |
東三段目94枚目 3–4 |
2014年 (平成26年) |
西序二段13枚目 2–5 |
東序二段44枚目 4–3 |
西序二段20枚目 1–6 |
東序二段62枚目 5–2 |
西序二段20枚目 4–3 |
西三段目100枚目 3–4 |
2015年 (平成27年) |
東序二段20枚目 3–4 |
東序二段41枚目 5–2 |
西序二段4枚目 3–4 |
西序二段22枚目 1–6 |
西序二段74枚目 6–1 |
西序二段4枚目 4–3 |
2016年 (平成28年) |
西三段目85枚目 1–6 |
東序二段28枚目 4–3 |
東序二段7枚目 4–3 |
東三段目87枚目 0–7 |
東序二段38枚目 4–3 |
東序二段13枚目 1–6 |
2017年 (平成29年) |
東序二段54枚目 6–1 |
東三段目87枚目 2–5 |
西序二段24枚目 5–2 |
西三段目90枚目 1–6 |
西序二段37枚目 5–2 |
西三段目100枚目 2–5 |
2018年 (平成30年) |
西序二段32枚目 2–5 |
西序二段56枚目 4–3 |
西序二段34枚目 3–4 |
東序二段53枚目 1–6 |
東序二段99枚目 4–3 |
東序二段66枚目 4–3 |
2019年 (平成31年) |
西序二段38枚目 3–4 |
東序二段65枚目 3–4 |
東序二段91枚目 5–2 |
東序二段46枚目 2–5 |
東序二段86枚目 4–3 |
東序二段55枚目 1–6 |
2020年 (令和2年) |
西序二段97枚目 4–3 |
東序二段63枚目 2–5 |
感染症拡大 により中止 |
東序二段96枚目 3–4 |
西序二段107枚目 3–4 |
東序ノ口7枚目 2–5 |
2021年 (令和3年) |
東序ノ口14枚目 2–5 |
東序ノ口15枚目 引退 0–0–7[10] |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴[編集]
- 影丸 剛希(かげまる ごうき)2003年3月場所 - 2008年1月場所
- 太田 剛希(おおた ごうき)2008年3月場所 - 2021年3月場所
脚注[編集]
- ↑ 「相撲」編集部編『平成二十六年度版 大相撲力士名鑑』 ベースボール・マガジン社、2014年、36頁
- ↑ がんばれ!郷土力士 大相撲関連記事 高知新聞 2012年10月8日閲覧
- ↑ 大相撲 2012夏場所記録 47news 2012年10月8日閲覧
- ↑ “八角親方、理事長代行に「北の湖部屋」は山響親方が継承へ”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2015年11月21日) 2019年7月18日閲覧。
- ↑ 北の湖部屋:緊急措置終了後に消滅へ当面、山響親方代行 毎日新聞 2015年11月22日
- ↑ 書類上における部屋名の改称日は、2015年11月場所千秋楽の翌日である同年11月23日付とされた。
- ↑ 北の湖部屋 部屋付きの山響親方が継承 日刊スポーツ 2015年11月30日
- ↑ “華王錦、舛東欧ら幕下以下20人の引退発表”. 日刊スポーツ. (2021年3月31日) 2021年3月31日閲覧。
- ↑ “関取と付け人は互いに高めあうもの”. 日刊スポーツ. (2018年3月25日) 2018年3月27日閲覧。
- ↑ 新型コロナウイルス感染者と濃厚接触した可能性があるため休場
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 太田 剛希 - 相撲レファレンス