天方城

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天方城(あまがたじょう)とは、現在の静岡県周智郡森町向天方地内にかつて存在した日本である。現在は城ヶ平公園(じょうがひらこうえん)として整備されている。

概要[編集]

現在の太田川東岸にあった城である。この城は中世山城で、室町時代前期の応永年間に山内道美(対馬守)という人物によって築城されたとされている。

永禄12年(1569年)、今川氏真武田信玄に攻められたのを見た徳川家康は、呼応して遠州に攻め入り、当時の天方城主・山内山城守(天方四郎三郎)を攻めて降伏させた。元亀3年(1572年)、武田信玄が西上作戦を開始すると天方城は武田の大軍に攻められ、山内山城守は戦わずして降伏する。ところが、信玄は元亀4年(1573年になると発病し、それにより武田軍は動きがとれなくなったため、家康は好機とばかりに同年3月に天方城を攻めて3日間の攻防戦の末に落城させている。

江戸時代になるとこの城には徳川氏の重臣・青山幸成に与えられたが、家康が死去した元和2年(1616年)頃に廃城となったという。

現在は城の遺構として堀などが残っており、城跡のおよそ8000平方メートルは城ヶ平公園として整備されている。公園からは太田川沿いの街並みを眼下にできるし、南は浜名湖から太平洋まで、北は秋葉連山を前景として遠く南アルプスの山並みまで臨むことができ、眺望に優れた場所として訪れる客も多い。

アクセス[編集]