大館城 (陸奥国)

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大館城(おおだてじょう)とは、現在の福島県いわき市好間町下好間字向山にかつて存在した日本である。

概要[編集]

この城はJR常磐線内郷駅いわき駅の中間にある鉄道線路の西側に当たる台地上、薬王寺台の上にあった城である。

室町時代前期の応永14年(1407年)、岩城常朝が築城を開始。しかし常朝の時代には完成せず、岩城清胤の時代に完成したという。江戸時代前期の慶長年間に岩城貞隆の時代に至るまで、岩城氏居城であった。岩城氏は当地の開発領主としてが起源とされ、平安時代末期の源頼朝奥州征伐において、その支配下に入ったので地頭に任命されて当地の開発と経営を任された。戦国時代になると、郷村との強い絆を生かして預所荘官を吸収し、戦国時代の終わり頃には戦国大名に成長する。しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、岩城貞隆が西軍に味方したことから、戦後に徳川家康によって所領と城は召し上げられて没落し、出羽国亀田藩に移ることになった。

代わって、ここの領主と城主として入ったのが、家康の重臣である鳥居忠政である。忠政は物見が丘に新しい城である磐城平城を築城し、ここを居城としたことから大館城は廃城とされ、その城跡には湯殿山神社が祀られることになる。幕末から明治維新に至る最中での戊辰戦争の際、この神社と台地一帯は戦場となった。その理由は台地から内郷、平、好間など一円を見下ろせることから、軍略上重要な拠点だったためである。

現在、台地の一角に、昭和35年(1960年)に建立された戦没者慰霊費が存在する。

アクセス[編集]

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