囲碁殿堂
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囲碁殿堂(いごでんどう)は、日本の囲碁史上に輝く名棋士や、囲碁の発展、普及に尽くした功労者を後世に伝えるため、殿堂者を顕彰する顕彰を行うものである。偉大な先人達や囲碁文化を咲かせた数々の歴史を振り返り、かつ未来に向かって囲碁文化のさらなる発展を導くため、殿堂ノミネート委員会がノミネートし、囲碁殿堂表彰委員会が決定する。日本棋院が平成16年(2004年)に創立80周年記念事業の一環として、野球殿堂を参考にして創設したものである。殿堂入りした人物は、囲碁殿堂資料館に肖像のレリーフと業績が掲げられる。
歴代殿堂[編集]
- 第1回(2004年5月28日) - 徳川家康、一世本因坊算砂、四世本因坊道策、本因坊秀策 (第1回特別創設記念表彰)
- 第2回(2005年9月28日) - 十二世本因坊丈和 (第2回特別創設記念表彰)
- 第3回(2006年7月28日) - 大倉喜七郎、十四世本因坊秀和
- 第4回(2007年8月1日) - 十八世本因坊秀甫
- 第5回(2008年8月5日) - 十七世・十九世本因坊秀栄、二十一世本因坊秀哉
- 第6回(2009年8月28日) - 瀬越憲作
- 第7回(2010年7月23日) - 木谷実
- 第8回(2011年7月13日) - 岩本薫
- 第9回(2012年6月22日) - 安井算哲、陳毅
- 第10回(2013年7月16日) - 喜多文子
- 第11回(2014年7月18日) - 橋本宇太郎[1]
- 第12回(2015年7月21日) - 呉清源
- 第13回(2016年7月19日) - 寛蓮、井上幻庵因碩
- 第14回(2017年10月24日) - 正岡子規
- 第15回(2018年10月30日) - 正力松太郎[2]
囲碁殿堂入り候補者の資格要件[編集]
囲碁殿堂表彰規定(平成29年(2017年)7月11日最終改定)
- 囲碁の歴史・文化を通し、国内外を問わず広く国民に啓蒙と指導をなし、囲碁普及と発展に顕著な貢献をした者
- 棋士は現役引退した後5年を経過していること。ただし、棋士が死亡したとき、または有資格者が選考時までに満65歳に達している時は経過年数を必要としない。
- 棋士は、対局を通じて得た記録が棋院または囲碁界の発展に貢献した程度によって選考される。
- 勝数、連勝記録、タイトル等の単一記録をもって自動的に囲碁殿堂入り候補者として推薦されない。
地域振興[編集]
鹿島市に碁聖寛蓮顕彰会が昭和27年(1952年)に結成されており、鹿島の囲碁文化振興のため、碁式献上から100年となる平成25年(2013年)に記念事業を行い、小学生向けの囲碁教室を開催してきた。寛蓮の功績に光を当てるため、2011年から、殿堂入りの活動を進め、囲碁のルールを確立した功績に加え、囲碁が地域活性化につながっているモデルとしての側面を評価して殿堂入りした[3]。
正岡子規の殿堂入り[編集]
第14回は俳人の正岡子規が選定された。漢詩、俳句、随筆等で囲碁に関係する作品を残したこと、生誕150年を迎えて注目されていることから殿堂入りした。碁に関係する句は30あるとされる[4]。
碁に負けて忍ぶ恋路や春の雨 淋しげに柿食ふは碁を知らざらん 真中に碁盤据ゑたる毛布かな 下手の碁の四隅かためる日永哉 短夜は碁盤の足に白みけり
辞退者[編集]
呉清源九段は最初の回に打診されたが、「研究中の身なので」として辞退した。死後に遺族の許可を得て、平成27年(2015年)7月21日に開催された有識者による表彰委員会で選出され、殿堂入りが正式に決まった[5]。
参考文献[編集]
- ↑ 橋本宇太郎九段が囲碁殿堂入り!関西棋院,2014-07-29
- ↑ 正力松太郎が囲碁殿堂入り
- ↑ 「碁聖」寛蓮 殿堂入りに地元・鹿島沸く,読売新聞,2016-08-02
- ↑ 囲碁も大好き正岡子規、野球に続き殿堂入り2017-10-25,朝日新聞
- ↑ 呉清源九段、囲碁殿堂入り産経新聞,2015-07-29