北有馬町
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北有馬町(きたありまちょう)とは、かつて長崎県南高来郡に存在した町である。現在は南島原市となって消滅している。
概要[編集]
昭和44年(1969年)4月に町制を施行して北有馬町が誕生する。東は西有家町と、南は有馬川を境にして南有馬町と接している農業地帯である。
この地は島原半島の中において最も早くから開けた場所であり、後にこの地を支配する有馬氏の先祖である藤原経友の7代目の末裔にあたる藤原経澄が春日神社別当一乗院の大収納使職となり、社領有馬庄のこの地に日野江城(火之枝城)を築いたのが鎌倉時代前期の建保3年(1215年)である。以来、この城を居城にして有馬氏は当地を支配し、江戸時代前期の慶長年間までおよそ400年にわたって君臨したが、キリシタン大名として有名な有馬晴信の子・有馬直純の時に江戸幕府の命令により日向延岡藩に移封された。
その後、当地は松倉氏が支配し、日野江城は元和2年(1616年)に破却され、城壁の大部分は島原市にあった森岳城に移され、現在においてはおよそ80メートルの城壁と石垣がわずかに往時を忍ばせるのみである。
田平には有馬氏の氏神である春日神社があり、天正8年(1580年)に設立されたセミナリヨがある。これは天正遣欧使節が学んだ教区神学校である。また有馬氏の居城であった日野江城は当時の重要な遺構を伝えるものとして昭和57年(1982年)に国の史跡に指定されている。
平成18年(2006年)3月31日、加津佐町・口之津町・南有馬町・西有家町・有家町・布津町・深江町と合併して南島原市となったことにより、北有馬町は消滅した。