中野寛成
中野 寛成(なかの かんせい、1940年11月26日 - )は、政治家。衆議院議員(11期)、民社党書記長、新進党政策審議会長、新党友愛代表、民主党幹事長、衆議院副議長、国家公安委員会委員長、公務員制度改革担当大臣、拉致問題担当大臣などを歴任した。
経歴[編集]
長崎市銭座町生まれ[1]。4歳のときに長崎で原爆投下を体験したことから医師を志すが、色覚異常のため当時は医師になれなかったことから政治家を志す[2]。大阪府立豊中高等学校卒業[3]。1963年関西大学法学部卒業[4]。在学中の1960年に民主社会党(のちの民社党)に入党[5]。翌年に結成された民主社会主義研究学生連合(民研学連)に参加[6]。1966年に25歳で豊中市議会議員に史上最年少で初当選[7]。豊中市議を3期務め[8]、31歳で市議会副議長に就任[3]。
1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に大阪3区から民社党公認で初出馬するが落選[9]。1976年12月の第34回総選挙で初当選し、当選11回[3]。民社党政策審議会長(1989年2月~1994年6月)、書記長(1994年6~12月)、新進党政策審議会長(1994年12月~1995年12月)、新党友愛初代代表(1998年1~4月)を歴任。1998年4月民主党に合流し、代表代行(~1999年9月)、政策調査会長(1999年1~9月)、副代表(1999年10月~2002年9月)、幹事長(2002年9~12月)、民社協会理事長(2003~2005年)、衆議院外務委員長(2000~2001年)を歴任。2003年11月19日、第62代衆議院副議長に就任(~2005年8月8日)。
2005年8月の第44回総選挙で落選、2009年8月の第45回総選挙で返り咲き当選。2011年1月14日、第2次菅内閣で国家公安委員会委員長・公務員制度改革担当大臣・拉致問題担当大臣として初入閣(~9月2日)。民主党常任幹事会議長、憲法調査会会長、税制調査会会長代行、衆議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会委員長なども歴任。2012年11月5日、記者会見で次期衆院選には出馬せず、政界を引退することを表明した[10][11]。
政界引退後は脊髄小脳変性症を患っている妻(2015年死去)の介護を行いながら、地元FM局のパーソナリティー、講演活動[9]、コメンテーター、関西大学客員教授などをして活動している。2013年4月1日、吉本興業特別顧問に就任[12]。同年5月9日、旭日大綬章を受章[7]。民進党大阪府連顧問[13]、大阪民社協会顧問[14]。2020年に結成された立憲民主党・国民民主党には所属していないが、自身の事務所に地元の立憲民主党・国民民主党・民社協会が同居しており、民社協会の顧問を務めている[15]。後継者の松井博史は立憲民主党に所属している[16]。
人物[編集]
- ダジャレ好きで知られる。2002年に民主党幹事長に起用された際、鳩山由紀夫を代表選で支援した論功行賞だと批判されたが、「論功行賞より、論より証拠」「中野未完成です」というダジャレを連発して批判が高まった[17]。
- 2019年9月9日に「70年代から民団が全国展開した権益擁護運動に積極的に賛同し、国籍差別条項の廃止実現をはじめ、民主党時代には地方参政権獲得運動にも尽力してきた」として、在日本大韓民国民団(民団)から感謝状を手渡された[18]。
- 世界連邦日本国会委員会第14代委員長[19]。
著書[編集]
- 『友愛国家の創造――二大政党制をめざして』(富士社会教育センター、1997年)
- 『みんなで考えるニッポンの未来――ガンジーの予見から読み解く』(ヨシモトブックス、2013年)
分担執筆等[編集]
- 長野祐也編『日本が動く時――政界キーパーソンに聞く pt.4』(ぎょうせい、2004年)
- 長野祐也編『日本が動く時――政界キーパーソンに聞く pt.5』(ぎょうせい、2005年)
- 創憲会議編『国を創る、憲法を創る――新憲法草案』(一藝社、2006年)
- 長野祐也編『日本が動く時――政界キーパーソンに聞く pt.10』(ぎょうせい、2010年)
出典[編集]
- ↑ 中野寛成のツイート
- ↑ 元大物政治家が政界引退で臨んだ“老老介護の1年間” 女性自身(2013年11月22日)
- ↑ a b c 韓国・関西フォーラム2011(PDF) 民団大阪
- ↑ 第1回客員教授講演会を開催しました | お知らせ 関西大学政策創造学部(2018年11月13日)
- ↑ 中野寛成(なかの かんせい)とは コトバンク
- ↑ 伊藤郁男、黒沢博道編『民社党の光と影――元党本部書記局員による民社党研究論集』富士社会教育センター、2008年、116頁
- ↑ a b 中野 寛成 プロフィール 吉本興業株式会社
- ↑ 日本民政研究会編『国会議員総覧 1989年版』新評社、1989年
- ↑ a b [中野寛成さん]妻の介護で「家族に絆」…2人の生活取り戻し充実 ヨミドクター(2014年11月16日)
- ↑ 民主党の中野寛成氏が引退表明/元衆院副議長 四国新聞社(2012年11月5日)
- ↑ 民主・中野寛成氏が記者会見で引退表明 日テレNEWS24(2012年11月5日)
- ↑ 中野寛成氏 後ろ髪引かれず? デイリースポーツ(2013年10月3日)
- ↑ 役員情報 民進党大阪府連
- ↑ 役員名簿 大阪民社協会
- ↑ 中野寛成のツイート
- ↑ 中野寛成のツイート
- ↑ なぜ民進党は「幹事長人事」でコケるのか 忘れられない「小沢幹事長」の悪夢 (2ページ目) PRESIDENT Online(2017年9月7日)
- ↑ 中野寛成氏、山崎忠志弁護士、池田治郷氏に感謝状…民団中央 在日本大韓民国民団(2019年9月9日)
- ↑ 世界連邦日本国会委員会 世界連邦運動協会