関西大学

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関西大学(かんさいだいがく、英:KANSAI UNIVERSITY)は、大阪府吹田市に本部を置く大学である。略称は「関大」(かんだい)、 いわゆる「関関同立」に含まれる大学である。近畿圏の私立大学の中ではトップクラスの難易度があるブランド大学のひとつと言われる。西日本で最大規模の大学である。関関同立の中では関西学院大学と混同されることがある。略称では、関西大学を「関大」、関西学院大学を「関学」とすることがおおい。


概要[編集]

関西の法曹教育界にあっては、多数の司法試験合格者を出していることで知られる。大阪の弁護士の約3割が関西大学出身者と言われる。付属研究所として東西学術研究所,経済政治研究所,工業技術研究所,部落問題研究室を設置。

沿革[編集]

  • 1886年(明治19年)11月4日、法学者ボアソナードの教えをうけた井上操小倉久堀田正忠らの司法官と自由民権運動家・吉田一士(明治義塾旧監事)の連携によって、当時控訴院長であった小島惟謙 (のち大審院院長)らの賛成を得て、大阪西区京町堀の願宗寺(大阪西区京町堀上通3丁目36番地)を仮校舎として「関西法律学校」を開校した。その頃はフランス法学を教えていた[1]
  • 1886年12月、東区(現:中央区)淡路町の予章館へ校舎を移転する。
  • 1887年、北区河内町(現:天満四丁目)の興正寺別院(その後、大阪大空襲による戦災で焼失)へ校舎を移転する。
  • 1889年(明治22年)4月司法省顧問ボアソナード博士来学。
  • 1893年(明治26年)12月、司法省指定学校として認可される。
  • 1901年(明治34年)7月、定款を変更し、私立関西法律学校と改称。
  • 1904年、専門学校令による専門学校となる。
  • 1905年(明治38年)1月、社団法人「私立関西大学」に改組・改称、大学科、大学予科および専門科(いずれも法律・経済の2学科)を設置 
  • 1920年(大正9年)3月大学令により財団法人関西大学に改組・改称。
  • 1922年大正11年)、千里山に学舎を新設し、移転する。法学部と商学部の2学部をもつ大学として認可された。
  • 1928年(昭和3)4月、千里山に図書館竣工(現簡文館)。
  • 1945年(昭和20年)1月、法文学部を法学部、経商学部を経済学部と改称。
  • 1946年(昭和21年)4月、女子学生の入学を認めるよう学則を一部改正。法学部に初の女子学生が1名入学。
  • 1948年(昭和23年)4月、学制改革により新制大学に移行、法(法律、政治の2学科)、経済、文(哲、国文、英文の3学科)、商の4学部(1・2部制)を設置)、学制改革により関西大学付属第一高等学校を設立。
  • 1967年(昭和42年)4月、社会学部設置。

基本事項[編集]

  • キャンパス
    • 千里山キャンパス(〒564-8680大阪府吹田市山手町3丁目3番35号)
    • 高槻キャンパス(〒569-1095大阪府高槻市霊仙寺町2丁目1番1号)
    • 高槻ミューズキャンパス(〒569-1098大阪府高槻市白梅町7番1号)
    • 堺キャンパス(〒590-8515大阪府堺市堺区香ヶ丘町1丁11番1号)
    • 北陽キャンパス(〒533-0006大阪府大阪市東淀川区上新庄1丁目3番26号)
    • 梅田キャンパス(〒530-0014大阪府大阪市北区鶴野町1番5号)
    • 南千里国際プラザ(〒565-0855大阪府吹田市佐竹台1丁目2番20号)
    • 東京センター(東京都千代田区丸の内1-7-12サピアタワー9階)

出身著名人[編集]

カテゴリ:関西大学出身の人物」も参照

参考文献[編集]