ジャレッド・フェルナンデス
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ユタ州ソルトレイクシティ |
生年月日 | 1972年2月2日(52歳) |
身長 体重 | 185 cm 102 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 アマチュアFA |
初出場 | MLB / 2001年9月19日 NPB / 2007年4月8日 |
最終出場 | MLB / 2006年5月11日 NPB / 2007年9月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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ジャレッド・ウェイド・フェルナンデス(Jared Wade Fernandez , 1972年2月2日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州出身のプロ野球選手(投手)。
経歴[編集]
1994年、ボストン・レッドソックスに入団。
2001年にシンシナティ・レッズへ移籍すると、同年9月19日にメジャーデビューを果たす。
2003年と2004年はヒューストン・アストロズ、2006年はミルウォーキー・ブルワーズでメジャー登板している。
2007年に広島東洋カープに入団。日本球界では珍しい本格的ナックルボーラーで、投球の大半(75%以上ともいわれる)においてナックルボールを使用する「ナックルの伝道師」。マーティ・ブラウン監督は主に先発投手としての起用を考えていたが、ナックルボールは肩の疲労が少ない球種であるため、中1日でのロングリリーフも可能で、投手陣が疲弊しやすいカープにとっては貴重な存在であった。
2007年4月8日の東京ヤクルトスワローズ戦で来日初登板初先発を果たすが、5回途中10失点でKO。デビュー戦は乱調に終わった。しかし、4月28日の阪神タイガース戦ではKOされた長谷川昌幸の後を投げ4回無失点、天谷宗一郎の逆転本塁打もあり日本球界での初勝利を挙げた。5月4日の阪神戦でも先発し2勝目をあげたが、この試合で本塁ベースカバーに入ろうとした際にふくらはぎを負傷した。
この離脱までの5試合の結果と防御率推移は下記のとおり。
- 4月8日 対ヤクルト戦 投球回5.2 自責10 防御率15.88 ●先発
- 4月22日 対横浜戦 投球回7.1 自責2 防御率8.31 -先発
- 4月28日 対阪神戦 投球回4.0 自責0 防御率6.35 ○中継
- 5月1日 対ヤクルト戦 投球回2.0 自責0 防御率5.68 -中継
- 5月4日 対阪神戦 投球回5.2 自責3 防御率5.47 ○先発
復帰戦は、5月26日セ・パ交流戦での対福岡ソフトバンクホークス戦。3勝目はならなかったが、下記の通り来日前から憧れていた王貞治監督の前で好投した。その後年間を通じ一軍で投げたものの、一貫しない起用法が災いしたか、好成績は残せなかった。結局防御率6点台と期待外れの成績に終わり、この年限りで退団となった。
プレースタイル[編集]
ナックルボールは100km/h前後しか球速が出ない上、ストレートの球速も110km/h台後半とかなり遅い。来日した際には各球団から盗塁しやすいと分析され、2007年のオープン戦で東北楽天ゴールデンイーグルス相手に1試合6盗塁されたこともある。しかし本人は「牽制は得意だよ! 去年(2006年)は17回牽制でアウトにした」と述べており、実際に初戦の東京ヤクルトスワローズ戦では青木宣親を、2度目の登板となった横浜ベイスターズ戦では仁志敏久をそれぞれ牽制で刺している。
ある試合でフェルナンデスが登板した際、投じられた一球があまりにも遅すぎたため解説者が「おっと、これはチェンジアップでしょうか」と解説した。しかし、直後に出たスロー映像では完全にストレートの握りで投げており、球速は110キロ台だった。要するにごくふつうの真っ直ぐが120km/hに乗らないようなピッチャーである。
プロ野球スピリッツ4の投手能力で、フェルナンデスの最高球速はMAX142km/hとされているが、実際はこの通り120km/hの球速表示さえまれであるため、約30km/h近く差があるということになる。また、スライダーとカーブもゲーム内では投げられるようになっているが、実際はナックルとストレート以外に極稀にスライダーを投げる程度であり、カーブを投げることはほとんどない。但し、インターネット上では「遅すぎるナックルとストレートしかないと簡単に打たれるので、他の球種もつけたのではないか」とコナミの温情説も上がっていた。確かにコンピューターを抑えるにも骨が折れそうである。
ナックルは不規則な変化をするため、捕手も捕球が難しく、メジャーとマイナーでの通算暴投は122もある。しかし2007年は30試合、92 1/3回を投げて暴投は0だった。
ナックルボールはボールの指へのかかり具合が非常に重要であるため、気温の低い日や雨の日、それに風は苦手な様である。2007年6月14日の千葉ロッテマリーンズ戦では千葉マリンスタジアム特有の強風に翻弄され6失点を献上し1イニングで降板した。福岡ドームは無風多湿で投げやすいらしく、復帰した5月26日のソフトバンク戦もヤフードームでの試合だった。本拠地の広島市民球場や横浜スタジアムで安定し、風の強いはずの阪神甲子園球場のマウンドでも好成績をマークしている一方、残りのセリーグ3本拠地ではいずれも防御率二桁と打ち込まれている。
また、日本とメジャーリーグのボールの質の違いからなのか、そもそもあまり日本ではナックルが通用しなかったようにも見える。メジャーのボールは縫い目が高いので、ナックルに関しては空気抵抗を受け易く、その分大きく揺れる事になる。
人物[編集]
- 1996年はタイロン・ウッズと、1998年はアンディ・シーツとチームメイトだった。
- レッドソックス時代には大家友和とチームメイトで、友人だった。
- マイナー時代のオフに、トイザらスで自転車組み立てのアルバイトをしていたことがある。
- 東国原英夫宮崎県知事が2007年の春季キャンプを訪れた際、アメリカでも「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」が放送されていたため、同知事を知っていたことを明かした。
- 千葉真一の映画を中学時代からよく見ており、将来は映画プロデューサーになるのが目標[1]。千葉以外には上記の東国原英夫と王貞治で、彼らと対面を切望していたが、王と東国原には会うことができた[1]。
- 故障による二軍落ちの際、酷く落ち込んでいたらしいのだが、二軍の環境(瀬戸内海沿いの大野練習場、二軍専用の由宇球場)に感動して一気に機嫌がよくなったそうである。
- 非常に研究熱心で、自身で分析したことを「マル秘ノート」なる物に書き記している。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
2001年 | CIN | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 57 | 12.1 | 13 | 1 | 6 | 0 | 2 | 5 | 1 | 0 | 9 | 6 | 4.38 | 1.54 |
2002年 | 14 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 231 | 50.2 | 59 | 5 | 24 | 1 | 3 | 36 | 3 | 0 | 31 | 25 | 4.44 | 1.64 | |
2003年 | HOU | 12 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 161 | 38.1 | 37 | 2 | 12 | 2 | 2 | 19 | 3 | 0 | 17 | 17 | 3.99 | 1.28 |
2004年 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 14 | 1.0 | 6 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 54.00 | 11.00 | |
2006年 | MIL | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 31 | 6.1 | 11 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 7 | 9.95 | 1.89 |
2007年 | 広島 | 30 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | 2 | .273 | 410 | 92.1 | 117 | 16 | 34 | 1 | 1 | 33 | 0 | 2 | 68 | 62 | 6.04 | 1.64 |
MLB:5年 | 37 | 17 | 0 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 0 | .364 | 494 | 108.2 | 126 | 10 | 48 | 3 | 7 | 61 | 7 | 0 | 70 | 61 | 5.05 | 1.60 | |
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NPB:1年 | 30 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | 2 | .273 | 410 | 92.1 | 117 | 16 | 34 | 1 | 1 | 33 | 0 | 2 | 68 | 62 | 6.04 | 1.64 |
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発:2007年4月8日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場) 、5回2/3を10失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、3回裏にアレックス・ラミレスから見逃し三振
- 初勝利:2007年4月28日、対阪神タイガース4回戦(広島市民球場)、4回表に2番手で救援登板、5回無失点
- 初先発勝利:2007年5月4日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)、5回2/3を4失点
- 初ホールド:2007年8月29日、対阪神タイガース19回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に2番手で救援登板、3回無失点
- 打撃記録
背番号[編集]
- 54 (2001年)
- 53 (2002年)
- 56 (2003年)
- 41 (2003年 - 2004年)
- 50 (2006年)
- 48 (2007年)
脚注[編集]
- ↑ a b “フェルナンデス、千葉真一引退にショック”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2007年7月23日). オリジナルの2010年1月6日時点によるアーカイブ。 2010年1月6日閲覧。