カガノトウザイ
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お知らせ |
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくはwp:ja:馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。 |
カガノトウザイ | |
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現役期間 | 1985年 - 1994年[1] |
欧字表記 | Kagano Tozai[1] |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量不明)[1] |
性別 | 牡[1] |
毛色 | 栗毛[1] |
生誕 | 1983年4月28日[1] |
死没 | 不明 |
抹消日 | 1989年3月(JRA) 1996年4月2日(NAR)[2] |
父 | タカラトウザイ[1] |
母 | リキダイマス[1] |
母の父 | マスホマレ[1] |
生国 | 日本(北海道三石町)[1] |
生産 | 川畑八太郎[1] |
馬主 | 稗島達雄 →久世俊勝 →槇清孝 →宮内愛二 →又賀努[1] |
調教師 | 坂口正大(栗東) →山川清志(金沢) →井上哲(名古屋) →北田健三(佐賀) →宮内重幸(益田)[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 145戦12勝[1] (中央競馬)40戦4勝 (地方競馬)105戦8勝 |
獲得賞金 | 4757万3000円[1] (中央競馬)3134万8000円 (地方競馬)1622万5000円 |
勝ち鞍 | オーガストハンデキャップ(1990年) |
カガノトウザイ(欧字名:Kagano Tozai、1983年4月28日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍は1990年のオーガストハンデキャップ。
経歴[編集]
1985年7月20日、小倉競馬場での3歳未勝利戦でデビューし、8着。5戦目に勝ち上がる。しかし中央競馬では条件戦を脱することはできず1989年まで在籍するも中央での最終戦績は40戦4勝2着8回であった。
最初の移籍先は金沢競馬場。移籍したその年には農協牛乳杯や黒百合賞などの重賞に挑戦するも重賞タイトルを獲得することはできなかった。結局金沢では1勝もできず1989年12月に名古屋競馬場へ移籍した。名古屋移籍後も黒星スタートとなっ たものの3戦目に地方初勝利を上げた。1990年8月24日のオーガストハンデキャップにて1番人気のセンターフラツシユを下し 重賞初制覇。その後も名古屋で競馬を続けるも11月14日の名古屋杯を最後に佐賀競馬場へ移籍。佐賀には1990年12月から1992年3月まで在籍、アラブ大賞典やアラブ王冠賞に挑戦するも勝つことはできず、結局佐賀在籍時のベストリザルトは2着だった。1992年4月からは益田競馬場へ移籍。9月27日の黒松特別にて通算100戦を達成。11月の益田大賞典では最 低人気(8番人気)からの2着と好走するなどの活躍をしていった。1994年7月31日の黒松特別での5着を最後に現役を引退。種牡馬へは上がらず、その後の行方は不明。
競走成績[編集]
血統表[編集]
カガノトウザイの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ブランドフォード系 |
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父 タカラトウザイ 鹿毛 1977 |
父の父 センジユ鹿毛 1956 |
方景 | サラ アスフオード | |
影英 | ||||
イースタン | バラツケー | |||
梅橋 | ||||
父の母 イナリトウザイ鹿毛 1971 |
サラ カリム | Nearco | ||
Skylarking | ||||
タクマサル | サラ ヒシマサル | |||
アラブ 琢斗 | ||||
母 リキダイマス 栗毛 1972 |
マスホマレ 鹿毛 1956 |
サラ タカクラヤマ | セフト | |
峰城 | ||||
スピーデー | アブラール | |||
第二三軍 | ||||
母の母 白洋1956 |
サラ トシシロ | ダイオライト | ||
月城 | ||||
春洋 | アブラール | |||
春盛 | ||||
母系(F-No.) | 不明(FN:不明) | |||
5代内の近親交配 | アブラール:4×4(母内) バラツケー:4×5 月城:5×4(母内) |
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出典 |
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ