高鍋城

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが高鍋城の項目をおカタく解説しています。

高鍋城(たかなべじょう)とは、現在の宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋にかつて存在した日本である。江戸時代には高鍋藩主・秋月氏居城となった。現在は舞鶴公園(まいつるこうえん)となっている。

概要[編集]

現在の高鍋市街の西側、海抜74メートルの丘の上に存在した城とされており、古くは財部城(たからべじょう)と言った。

築城年代に関しては不明だが、少なくとも室町時代後期には存在していた模様である。最初は伊東氏、次いで島津氏の支配下となる。天正15年(1587年)に豊臣秀吉九州征伐島津義久が降伏すると、義久に従属していた筑前国秋月城主・秋月種長が3万石に減らされた上で高鍋に入封となった。種長は当初は串間城を居城としていたが、慶長9年(1604年)に財部に移る。そして種長の孫の秋月種信延宝年間(1673年 - 1681年)に城を大改修して近世城郭に改めた上で、地名の財部も高鍋と改名したという。以後、高鍋藩主秋月氏の支配を経て、明治維新に至った。

現在の城跡は舞鶴公園となっており、展望台に花木園、高鍋町総合歴史資料館、本丸、2の丸、3の丸跡や石垣、堀の一部などが残存していて、城の旧観を忍ばせている。また、城の調査で多くの古銭も出土している。園内の一角に舞鶴神社、国が指定している天然記念物高鍋のクスの巨木が存在する。

アクセス[編集]