高鍋城
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高鍋城(たかなべじょう)とは、現在の宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋にかつて存在した日本の城である。江戸時代には高鍋藩主・秋月氏の居城となった。現在は舞鶴公園(まいつるこうえん)となっている。
概要[編集]
現在の高鍋市街の西側、海抜74メートルの丘の上に存在した城とされており、古くは財部城(たからべじょう)と言った。
築城年代に関しては不明だが、少なくとも室町時代後期には存在していた模様である。最初は伊東氏、次いで島津氏の支配下となる。天正15年(1587年)に豊臣秀吉の九州征伐で島津義久が降伏すると、義久に従属していた筑前国秋月城主・秋月種長が3万石に減らされた上で高鍋に入封となった。種長は当初は串間城を居城としていたが、慶長9年(1604年)に財部に移る。そして種長の孫の秋月種信が延宝年間(1673年 - 1681年)に城を大改修して近世城郭に改めた上で、地名の財部も高鍋と改名したという。以後、高鍋藩主秋月氏の支配を経て、明治維新に至った。
現在の城跡は舞鶴公園となっており、展望台に花木園、高鍋町総合歴史資料館、本丸、2の丸、3の丸跡や石垣、堀の一部などが残存していて、城の旧観を忍ばせている。また、城の調査で多くの古銭も出土している。園内の一角に舞鶴神社、国が指定している天然記念物の高鍋のクスの巨木が存在する。