高田藩 (豊後国)
ナビゲーションに移動
検索に移動
高田藩(たかだはん)とは、江戸時代前期のわずかな期間に豊後国に存在した藩である。藩主家は外様大名の竹中氏、譜代大名の能見松平家。石高は1万石、3万7000石、3万2000石。藩庁は高田城。現在の大分県豊後高田市に存在した。
概要[編集]
豊臣政権期の文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の命令で大友義統が改易された後、豊後国には豊臣氏の家臣が領主としてそれぞれ入れられることになるが、そのうちの高田には竹中重利が1万石で入封した。慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いの戦功により重利は豊後府内藩2万石に加増移封され、高田藩は一時的に廃藩となる。
寛永16年(1639年)、豊前国竜王藩主の松平重直がこの地に高田城を築城して居城を移したので、高田藩が再立藩した。寛永20年(1643年)に重直の遺児・松平英親が第2代藩主となるが、この際に弟の松平重長に3000石、同じく弟の松平直政に2000石を分与したので、高田藩は3万2000石となった。
正保2年(1645年)、英親は豊後国杵築藩に移封となり、高田藩は完全に廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 竹中家
外様。1万石
- 重利(しげとし)
- 松平〔能見〕家
譜代 3万7000石→3万2000石