高田城 (豊後国)
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高田城(たかだじょう)は、現在の大分県豊後高田市玉津字本丸(旧国豊後国)にあった城である。豊後高田城、柴崎城とも呼ばれる。
概要[編集]
豊後高田市街の東、桂川北岸の台地一帯に存在した平山城である。
鎌倉時代初期の建久7年(1196年)、大友能直の家臣・高田重定が築城したといわれ、高田の地名自体が掃部介重定の名字によるものだといわれている。以後、高田氏は大友家の家臣として17代まで仕え続け、文禄2年(1593年)に大友義統が改易されるまで高田氏の居城であった。
高田氏の後は、竹中氏や松平直重らが入って城の修築を行なった。江戸時代には高田藩の藩庁として機能したが、寛文9年(1669年)を最後に高田藩は存在せず、その所領は肥前国島原藩の飛び地の藩領として陣屋が設置されて明治維新を迎えている。
現在はかつての城の堀と石垣の一部が残されているほか、城地には県の出先機関の事務所や桂陽小学校の構内になったりしている。