香西越後守

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香西 越後守(こうざい えちごのかみ、? - 天正3年4月19日1575年5月28日[1])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は香西元成[1]。一時期織田氏家臣になったが、三好氏の家臣として織田信長に激しく抵抗した。

生涯[編集]

永禄3年(1560年)に父が戦死したため、家督を相続する。元亀元年(1570年8月三好三人衆細川昭元と共に野田・福島の戦いで織田信長と戦うが、8月30日三好政勝と共に信長に投降し、9月には上洛してその後の比叡山包囲に従った[1]。その後は細川昭元と共に中島城に滞在するが、元亀3年(1572年4月に三好政勝と共に信長と対立していた三好義継と勝手に講和するなど次第に足利義昭に接近してゆく[1]。翌年に室町幕府が滅亡すると石山本願寺に接近して信長になおも抵抗した[1]

天正3年(1575年)4月、和泉近くの新堀の出城に立て籠もるが、すぐに織田軍に攻められて4月19日に生け捕りにされ、織田信長と対面した後で処刑された[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 『織田信長家臣人名辞典』(第2版)吉川弘文館2010年。P183

参考文献[編集]