長松院殿

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長松院殿(ちょうしょういんでん、? - 天正13年6月14日1585年7月11日))は、室町時代後期(戦国時代)から安土桃山時代にかけての女性伊豆国相模国を支配した戦国大名北条早雲の長女。

生涯[編集]

父は北条早雲。母は早雲の側室善修寺殿北条幻庵青松院殿の同母姉である[1]。法名は長松院殿月渓宗冊大姉[2]

今川氏の重臣・三浦氏員永正年間後半の頃に嫁いだと推測される。氏員との間に息子の氏満が生まれている[3]

永禄11年(1568年)12月、武田信玄甲相駿三国同盟を破棄して駿河侵攻を開始し、今川氏真駿府城から没落した際、長松院殿は北条氏政によって北条方の蒲原城において庇護されている。これは同母の弟である幻庵が氏政に依頼した結果と見られており、以後の長松院殿は幻庵の下で余生を過ごした[3]

天正13年(1585年)6月14日に死去した[2]。生年は不明だが、永正年間後半に嫁ぐくらいの年齢だから、80歳は優に超えている長寿だったと思われる。母の善修寺殿も弟の幻庵も長寿であり、この家系は長寿の家系であったようである。

脚注[編集]

  1. 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P19
  2. a b 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P21
  3. a b 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P20

参考文献[編集]