金蔵寺 (飯能市)

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金蔵寺(こんぞうじ)
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所在地埼玉県飯能市大字大河原538番地
山号金軸山
宗派真言宗智山派
本尊千手観世音菩薩
創建年建仁年間(1201年 - 1203年
別称金蔵院(こんぞういん)[1]
札所等奥多摩霊場新四国八十八札所第16番札所(徳島県観音寺代行)

金蔵寺(こんぞうじ)は、埼玉県飯能市大字大河原にある真言宗智山派寺院。山号は金軸山。本尊は千手観音[1]新四国奥多摩霊場八十八札所第16番札所(徳島県観音寺代行)[2]。境外仏堂八耳堂(はちじどう)がある[1]

歴史[編集]

建仁年間(1201年 - 1203年)に大河原村(現・飯能市大字大河原)の領主[3]鎌倉幕府御家人大河原四郎菩提寺として龍崖山麓に建てられたといわれている[1]大河原氏は殿屋敷と呼ばれる場所に居住し、龍涯山に砦を構えて戦に備え、当寺と八耳堂、近くの軍太利神社を信仰していたといわれている[4][5]

天正年間(1573年 - 1592年)に平地に移転した[4]天和2年(1682年)に火災のため移転した[6]慶応4年(1868年)の飯能戦争により焼失した[4][7]明治9年(1876年)の時点では公立小学校として仮用されていた[6]。明治17年(1884年)にも再び焼失し、昭和19年(1944年)の時点でも再興されていなかった[4]。昭和28年(1953年)に本堂を建立した[1]

新編武蔵国風土記稿』の大河原村の項には「金蔵寺 金軸山と号す、新義真言宗新堀村聖天院門徒なり、本尊弥陀を安ず」とある[8]。『武蔵国郡村誌』の大河原村の項には「金蔵寺 東西二十一間南北九間面積四百四坪村の中央にあり真言宗新堀村聖天院の末派なり」とある[9]

八耳堂[編集]

金蔵寺の境外仏堂の八耳堂太子堂とも呼ばれている。本尊は聖徳太子保元年間(1156年 - 1158年)の創立といわれ、現在の建物は文政3年(1820年)に再建された[1]。所在地は飯能市大字大河原582番地[1]。金蔵寺の150mほど西にあり、軍太利神社が隣接している[7]。当初、金蔵寺は八耳堂の近くにあったといわれるため、八耳堂は金蔵寺の境内に建てられたと考えられる[10]。『武蔵国郡村誌』の大河原村の項には「太子堂 東西十間南北三十三間二尺面積二百九坪村の西方民有地にあり」とある[9]。4月15日に「御太子様」と称する祭りが行われている[11]

八耳堂の脇に建つ宝篋印塔と塔内に収められていた品物は「八耳堂宝篋印塔及び銅板経ほか塔内納入品」として市指定文化財(考古資料)に指定されている。平成9年(1997年)8月1日指定。宝篋印塔は高さ377㎝の安山岩製で文化8年(1811年)に建立されたもの。平成7年(1995年)、解体修理中に塔身部から銅板経3枚、銅板1枚、梵字を書いた和紙5枚、逆修について書いた和紙1枚、和紙に包まれた舎利5粒と焼土が発見された。また反花座基礎と基壇の間から剣などの鉄製模造品4点、寛永通宝4枚も発見された[12]。銅板経は全国的に類例が少ないとされる[13]

八耳堂の正面には寛政6年(1794年)の灯籠と文化13年(1816年)に奉納された狛犬がある[14]。宝篋印塔の横には享和3年(1803年)の六地蔵、安永4年(1775年)と年不詳の地蔵[15]、寛政6年(1794年)に奉納された手水石がある[16][10]

交通アクセス[編集]

所在地:埼玉県飯能市大字大河原538番地

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 浅見徳男 『埼玉ふるさと散歩 〈飯能市・名栗村〉』 さきたま出版会、1990年
  • 蘆田伊人編 『大日本地誌大系 ⑮ 新編武蔵国風土記稿 第9巻』 雄山閣、1977年
  • 大江千尋ほか編 『埼玉宗教名鑑』 埼玉新聞社、1978年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 『角川日本地名大辞典 11 埼玉』 平凡社、1980年
  • 埼玉県編 『武蔵国郡村誌 第5巻』 埼玉県立図書館、1954年
  • 埼玉県神社庁神社調査団編 『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』 埼玉県神社庁、1986年
  • 飯能市教育委員会 『飯能の石仏 ふるさとの証言者』 飯能市教育委員会、1989年
  • 飯能市教育委員会 『飯能の石像遺物 連帯のエネルギー』 飯能市教育委員会、1992年
  • 飯能市教育委員会 『野口家・八耳堂近世宝篋印塔内納入銅板経調査報告書』 飯能市教育委員会、1997年
  • 飯能市教育委員会編 『飯能の社寺建築 埼玉県飯能市社寺建築調査報告書』 飯能市教育委員会、2012年
  • 飯能市史編集委員会編 『飯能市史 資料編Ⅴ (社寺教会)』 飯能市、1982年
  • 飯能第一国民学校編 『飯能郷土史』 国書刊行会、1981年原本は1944年に飯能翼賛荘年団から発行。

外部リンク[編集]