道後温泉

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道後温泉(どうごおんせん)とは、愛媛県松山市道後湯之町に存在する温泉である。愛媛県で最も歴史があり著名な温泉である。

概要[編集]

この道後温泉は古代の『日本書紀』や『万葉集』に登場するほどの古くからの歴史ある温泉で、その歴史は3000年を数え、1932年(昭和7年)の松山市合併まで属した温泉郡の郡名も当温泉に因んでいる。
そのため、飛鳥時代聖徳太子鎌倉時代一遍上人、江戸時代小林一茶とこの温泉を訪れた著名人は数知れない。ちなみに道後温泉は坊ちゃん湯とも言われるが、これは、旧制松山中学の教諭として居住歴のある文豪である夏目漱石の『坊ちゃん』において毎日通いつめるほどぞっこん惚れしていたと漱石が記しているためである。

道後温泉のシンボルであり威容を誇る木造三層楼の「道後温泉本館」は国が指定する重要文化財である。

この道後温泉は朝の6時になると本館の楼閣である振鷺閣(しんろかく)から一番風呂の始まりを告げる刻太鼓の音が鳴り響き、開館を伝えることになっている。この馴染みの風景は明治27年(1894年)に生まれたという。明治時代前期までは本館は簡単な作りであったが、明治23年(1890年)に道後湯之町の初代町長となった伊佐庭如矢が18年前に建てられた2層楼などの老朽化から、巨費を投じて湯屋の再建を始めた。これはこれまでと違って観光客を意識して近代温泉施設への改修を開始するものであった。
設計したのは旧伊予松山藩のお抱え城大工であった坂本又八郎であり、細部の意匠にまで和風建築の技術を駆使する一方、屋根には強度を高める西洋式のトラス構造、刻太鼓を鳴らす塔屋・振鷺閣にはギヤマンガラスを用いるなど最新技術も導入し、明治25年(1892年)の起工からおよそ20ヶ月を経て完成した。この湯屋は神の湯棟といわれ、夏目漱石が「他の所は何を見ても東京の足元にも及ばないが、温泉だけは立派なものだ」と小説・坊ちゃんで述べている。なお、漱石は明治28年(1895年)に道後温泉に訪れている。これと同時期に道後鉄道(現・伊予鉄道市内線〔城南線城北線の一部〕)の敷設も進み、これらが功を奏して明治40年(1907年)には入浴客は82万人に上ったという。明治43年(1910年)発刊の観光案内本・「道後の温泉」では「交通の便も備はり、松山からは汽車も通じて居るので四時浴客の絶へ間がない」と記され、以後、道後は観光地として人気を集めていった。

また、この道後の湯は万人に好まれる弱アルカリ性単純泉であり、関節筋肉神経痛慢性消化器病などに良いとされ、中でもリウマチに効果があるとされている。そのため、道後温泉のすぐ近くには道後温泉病院があり、慢性関節リウマチの治療を主体にした診療を行なっており、一人の患者に対して内科医、整形外科医、理学療法士、ケア部門のメディカルスタッフなどが一体となって治療に当たる専門的なチーム医療が注目されている。運動療法、理学療法、作業療法などリハビリテーションシステムも充実し、病院には道後温泉の元湯から毎日18トンもの湯が引き湯にされている大浴場もある。平成18年(2006年)にはリウマチ医療の発展に尽くした個人や施設に授与される第3回日本リウマチ友の会賞を受賞している。

アクセス[編集]

泉質・効能[編集]

  • 泉質 - 弱アルカリ性単純温泉
  • 効能 - 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、打ち身、運動麻痺、くじき、慢性消化器病

道後温泉の旅館・ホテル一覧[編集]

問い合わせ[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]