近江八幡城

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近江八幡城(おうみはちまんじょう)とは、現在の滋賀県近江八幡市宮内町19-9にかつて存在した日本である。八幡山城(はちまんやまじょう)とも言われる。

概要[編集]

近江八幡市街のすぐ北側にある八幡山、別名を鶴翼山の頂上に存在した山城であるという。

この城は天正13年(1585年)に豊臣秀吉から近江国に20万石を与えられた甥の豊臣秀次が築城したという。この際、秀次は織田信長が築いた安土城の資材を利用し、さらに安土の城下町の町割をそっくり八幡に移したという。天正18年(1590年)の小田原征伐で秀次は武功を挙げ、戦後に秀吉より尾張国伊勢国北部5郡を与えられて清州城を居城とし、八幡城主には京極高次が2万8000石で入封した。文禄4年(1595年)の秀次事件で秀次は秀吉から謀反の罪を咎められて高野山に追放された上に切腹を命じられ、また京極高次はこれにより八幡城から大津城移封を命じられ、これにより八幡城は廃城となった。

現在、八幡山の山頂部には石段や土塁、礎石などが現存しており、秀次の菩提所の瑞龍寺(村雲御所)や日牟礼八幡宮などもある。東麓の旧大手口付近は八幡公園で躑躅の名所で知られており、秀次の銅像も建立され、八幡市街や湖西方面の眺望にも恵まれている。

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