跡部信秋
ナビゲーションに移動
検索に移動
跡部 信秋(あとべ のぶあき、? - 元亀元年(1570年)4月?)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。法号は祖慶(そけい)[1]。子に勝資[1]。受領名は伊賀守[1]。
生涯[編集]
武田信虎の時代から仕えた家臣と言われるが、信虎期に伝わる事績は無く、史料上の初見は武田信玄期の天文22年(1553年)8月における信濃香坂氏への使者を務めたとするものである(『甲陽日記』)。その後、信玄期においては信濃大日方氏など信濃系国人領主の奏者を務めた[1]。永禄9年(1566年)末に出家する[1]。元亀元年(1570年)4月に信濃・上野国境に派遣されたのを最後に活動が確認できないため、この直後に死去したものと考えられている[1]。
跡を継いだ子が信玄・勝頼の側近として有名な勝資である[1]。