赤座助六郎

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

赤座 助六郎(あかざ すけろくろう、? - 天正10年6月2日1582年6月21日))は、戦国時代武将斎藤氏、後に織田氏家臣

略歴[編集]

父は赤座筑前守赤座永兼の弟で、姓に関しては桑原(くわばら)とも記録されている。仮名は助六郎で諱は不明。

信長公記』によると、最初は斎藤氏の家臣だったが、織田信長の侵攻により兄・永兼と共に信長に降ったという。永禄12年(1569年)、三好三人衆が信長の留守を突いて足利義昭のいる本圀寺を襲撃した際には(本圀寺の変)、兄と共に義昭の守備を務めて奮戦した。

記録では天正6年(1578年)1月まで赤座姓が確認でき、その後に桑原姓に改めている。恐らく、桑原は美濃の旧族である桑原家を継承したものと思われる。また、当初は信長の馬廻に列していたが、後にその嫡男織田信忠の馬廻に転属となっている。

天正10年(1582年)3月、武田征伐にも従軍し、信忠の使者として武田勝頼の首級を信長の下へ持参する役目を務めている(『信長公記』)。3か月後の6月2日、本能寺の変において二条御所において信忠に殉じた(『信長公記』『甫庵信長記』)。