菩提山城
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菩提山城(ぼだいやまじょう)とは、現在の岐阜県不破郡垂井町岩手にかつて存在した日本の城である。竹中重治(竹中半兵衛)の居城として有名である。別名を岩手城(いわてじょう)という[1]。
概要[編集]
規模は東西216メートル、南北36メートルで、山城で標高402メートル、比高300メートルである。伊吹山を背にして北方からこの道を監視するような位置にある[1]。西方を除いていずれも絶壁の要害であったという[1]。
築城者は竹中重治の父である竹中重元であり、築城されたのは天文15年(1546年)、あるいは永禄2年(1559年)であるという。重元は築城の翌年に病死したため、嫡男の重治が家督を相続した。重治は主家の斎藤龍興から稲葉山城を奪取したり、織田信長や羽柴秀吉に仕えて参謀として大いに活躍したことで知られる。天正7年(1579年)に重治は死去し、菩提山城は重治の従弟である竹中重利が城主となった。重治の嫡子・竹中重門は幼少のためであり、重門は秀吉の下で養育されて成長してから菩提山に戻るが、程なく山麓に竹中陣屋を構えたため、菩提山城は廃城となった[1]。
城跡の遺構は現在はほとんど残されておらず、わずかに土塁と堀の痕跡をとどめるのみであり、山頂は南北20間(36メートル)、東西120間(216メートル)の台地で、ここに東から西へ東の丸、本丸(中の丸)、西の丸が築かれていたものと推測されている。中央の本丸跡には南北25間(45メートル)、東西40間(72メートル)ほどと推測されている[1]。