草川昭三

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草川 昭三(くさかわ しょうぞう、昭和3年(1928年8月16日 - 令和元年(2019年7月17日)は、日本政治家公明党国対委員長衆議院議員

略歴[編集]

愛知県名古屋市出身。石川島播磨重工業(現在のIHI)の労働組合の幹部となる。昭和51年(1976年)に衆議院旧愛知2区から無所属第34回衆議院議員総選挙に出馬して初当選する。公明党では珍しい党の支持母体である創価学会の出身者ではない異色の存在であり、そのため与党野党を問わずに幅広い人脈を築いていた。平成6年(1994年)に非自民党細川護熙内閣が崩壊すると、自民党幹事長野中広務に接近し、平成10年(1998年)に公明党の国対委員長に就任し、参議院で過半数割れしていた自民党政権の国会運営に協力し、平成11年(1999年)の公明党の連立入りの地ならしに貢献した。

令和元年(2019年)7月17日、急性心不全のため、愛知県名古屋市内で死去した。90歳没。