美濃国諸旧記
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美濃国諸旧記(みののくにしょきゅうき)とは、美濃国に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者や成立年代は不明。著書自体は寛永16年(1639年)の年号が確認でき、さらに元禄15年(1702年)判の『織田軍記』の名があることから、少なくとも江戸時代中期以降の成立と考えられる。
内容[編集]
全12巻。美濃国の守護大名、城主の変遷、合戦について、歴史や寺社、旧跡についての故事や来歴、伝説などを古老の物語や旧記などをもとにしてまとめたものである。
- 1巻から2巻 - 美濃守護の土岐氏の就任と没落について。
- 3巻から6巻 - 長森城、川手城など美濃各地の城と歴代の城主、事績、戦いなどについて。主に戦国時代関係が多い。
- 7巻 - 美濃出身の稲葉氏、氏家氏、不破氏、林氏、池田氏など有力武将の家系、その家の中心人物といえる人たちの活躍について。
- 8巻から9巻 - 美濃各所の旧跡、名所についての伝説、古老の物語などについて。
- 10巻 - 古跡や古墳、寺社について。
- 11巻から12巻 - 美濃諸士の姓名について。
1巻では美濃の「蝮」と称された斎藤道三を主役としている。2巻、3巻では明智光秀について描かれている。4巻では織田信長の美濃攻めについて、そして木下秀吉の墨俣城築城、5巻では武田信玄との攻防戦(岩村城の戦い)、6巻では再度、明智光秀についての事績に戻り、光秀の過去(家督相続や長良川の戦い)について、7巻では西美濃三人衆の稲葉一鉄について、8巻と9巻では旧跡について、10巻では寺社についてである。
江戸時代中期以降の著書であるから後代史料であるが、信頼性が余り高いとは言えない。
- 斎藤道三の生年が永正元年(1504年)5月とされている。
- 斎藤義龍の父親が土岐頼芸であることが強調されている上に、道三殺害が正当化されている。
- 明智光秀は明智光綱の嫡男とされ、長良川の戦いで義龍に属したことになっており、後に信長の臣になったのも足利義昭の推挙にされている[注 1]。
- 信長と信玄が天正元年(1573年)3月14日に合戦したことになっている。信玄没後に信長が岩村城を落として秋山晴近とおつやの方を処刑したことを「信長の悪心は莫大なり」と批判している[注 2]。
- 信玄は信長との合戦で勝負がつかなかったので、三河国吉田城を落として海上から上洛しようとしたが、その攻撃の際に矢疵を受けて4月11日に陣没したことになっている[注 3]。
- 稲葉一鉄は勇猛だが不義の武将と評されている。晩年に善行を尽くすようになり、かつて追放されていた土岐頼芸を迎えて厚遇したことを評価している。