算数

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算数は、主に次の2つをさす -

  1. 小学校の教科
  2. 文字式負数を使用しない数学のこと。「算数的に考える」など。

この記事では前者を解説する。


算数小学校の教科である。中・高の数学と異なり文字式を実際に使用する場面は少ない[注釈 1]のが特徴とされる。とはいえ遠山啓による水道方式においては、未知数を「カンヅメ」、定数を「ビンヅメ」と呼んで小学生にも教えている。

概要[編集]

算数は、かつての算術であり、計算数学の一部である。ただし、数学的な要素を含んでおり、教科書会社や小学校教師はこの部分を算数から排除しようと試みているらしい。
例を挙げると、いわゆる「九九」には「0の段」はないので、「零元との積は0である」ことを前提としている。
あるいは、現在では「総九九」「全九九」が主流だが、かつては「ににんがし」から始めて「くくはちじゅういち」で終わる「半九九」が教えられており、数学者の一松信によれば、「さんにがろく」と唱えると、「『にさんがろく』だ」と父親に叱られ叱られたという。したがって、「単位元との積によっては値は変わらない」「乗算においては交換法則が成り立つ」ということは自明である、と考えられていたようである。
この弊害は小学校の算数の授業にも及び、「正方形」を「ましかく」、「長方形」を「ながしかく」と呼んで区別するため、「『正方形』は『ましかく』であって『ながしかく』ではない」という(公立の小学校の)教師がいたりする。もちろん正方形は長方形の一種であり、正方形も長方形も菱形も平行四辺形の一種であり、平行四辺形は台形の一種であり、正三角形も二等辺三角形の一種ではあるのだが、そういうことは学習塾で学ぶことであるとされ、大量の落ちこぼれ児童を出しており、取りこぼしや(智能が高いゆえに教師から疎まれる)吹きこぼれ児童を出している。

内容[編集]

文部科学省の小学校学習指導要領解説(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1387014.htm)によるが、実際の指導に関しては児童用の教科書や教師用の指導書3による。項目としては、

  • 数と計算
  • 図形
  • 測定
  • データの活用
  • 〔数学的活動〕

に分類されており、中学校教育における「数学」につながる指導を念頭においている。ただし、「教師の世代交代が進むと同時に,学校内における教師の世代間のバランスが変化し,教育に関わる様々な経験や知見をどのように継承していくかが課題となり,また,子供たちを取り巻く環境の変化により学校が抱える課題も複雑化・困難化する中で,これまでどおり学校の工夫だけにその実現を委ねることは困難になってきている。」と文科省がボヤいているように、教師側の問題も浮かびあがっている。 以下の内容は、「小学校学習指導要領解説算数編」(平成 29 年7月。https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002607_04.pdf)に基づく。

一年生[編集]

数と計算[編集]

1.数の構成と表し方
個数(自然数)を比べること、個数や順番を数えること、数の大小、順序と数直線、二位数の表し方、簡単な場合の三位数の表し方、十を単位とした数の見方、まとめて数えたり等分したりすること。
したがって、自然数の概念と表し方[1] だからといって、n進法ペアノの公理を教えるわけではない。
:基本的には「(おおむね一千以下、あるいは五百以下の)自然数」の量感覚と比較を身につけるように指導する。現行の補助貨幣(硬貨)は五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉なので、それが扱えることを目標としているかもしれない。
米国ではチップという習慣があり、順機械式の自動販売機ではクォーター(25セント硬貨)が一般的だったので、買物をするときには「お釣りがクオーターの倍数かつ一ドルを越えない」になるように工夫したものだが、それをやると店員がパニック状態になったりもしたらしい。とはいえ美人のウェイトレスが全員おバカさんというわけではなく、平然と対応してお釣りのクォーター三枚を「チップ」と言ったら「日本人ね」とニヤッとされたという話もある。
2,加法と減法
加法(たしざん)および減法(ひきざん)が用いられる場合とそれらの意味、加法・減法の式、一位数の加法とその逆の減法の計算、簡単な場合の二位数などの加法と減法などについて指導する。
「計算」となると、負数とゼロは教えないため m < n である自然数 m,n の加算と n - m のみを教えることになっている。したがって「1-2」はできない[2]。日本には「そろばん」の導入は考慮に値する。ここで「数(個数)の加算」と「自然数の数えあげ」について混乱のないように指導するのが肝要である。昔は「お風呂で百まで数えて充分に温まってから湯から上がる」とか「運動会の玉入れでどちらが多いか数えあげる」とかいった工夫もあった。
「二位数」は、小学校一年次では「ひとけたの数を足し算した結果として出てきた ふたけたの数」であり、もっぱら「十から十八までの数」のことをいう。したがって 二進数ではない。いわゆる「ちえおくれ」の児童に「足し算九九」を暗記させようと強いる教師もいる。水道方式では、五・二進法によってこの点を理解しやすくしている。
「個数や順番を数えること」に関しては、順序は「比較可能な線形順序」として教えられることが多い。児童はみな平等であり、「違い」はあっても「どちらが上か」という話はあるわけだが、「『どっちが上か』ということを教えこまれる」という意味では、いじめに繋がる傾向もありそうに思う。
もちろん、順列組合せは出てこない。

数直線 も、小学校では負数もゼロも教えられていないため自然数という離散量を対象としているため、正確には「数直線」というより「順序づけられた集合」を順序づけて並べたものをいう[3]

「十進数を基礎にしている」ので、十を単位とした数表現を用いる。ただし常用対数は教えないので、「(一・)十・百・千・万」くらいしか教えない。「億・兆・京」などは教えられないため、「キロバイト」「メガバイト」「テラバイト」「ギガバイト」などは理解していても教師にバレると睨まれる。

  • 物の位置を示すこと:でも座標は使わない。
  • 「長さ」「広さ」「かさ(体積)」などの比較:でもまだメートル法は出てこない。
  • 時刻を読むこと。ただしタイムゾーンサマータイム時差うるう秒などは教えない。
  • 「データの個数に着目し、身の回りの事象の特徴を捉えること。」[1] :でも、大人でも難しい上に、平均相対度数ヒストグラムも教えていない。
  • =(等号):は代入ではない。現実的にいえば、小学校一年生に「変数」「函数(関数)」「引数」といった概念を理解してもらおうというのは無理筋である。「A = 4」とかいうのは、かつてのプログラミング言語 BASIC では「LET A=4」であり、Pascal では「A:=4」なので、「1+3 = 2+2 = 4」といった「同値関係」を表す記号である。「¬(A < B) ∧¬(A > B) ⇒ A = B」程度の意味である。

二年生[編集]

  • 時刻と時間について教わる。ただし、時刻と時間は異なった概念であり、カタロニアのように基数的ではなく序数的な時刻制を取っている地方もあって(したがって、カタロニアには「午前零時」はなく「一時」である)、「基数」と「序数」の区別について配慮していない教師は散見される。
  • 二桁の加法・減法や筆算を教わる。ここで児童は「位取り」の概念を知るわけだが、このあたりに理解のない教師は「暗記しろ」と命令する以外の能がない。
  • 乗法(掛け算)を教えられる。「八十一個を何らかの方法で覚えてしまえば何ら問題はない」という意見もあるが、0から9までの順列は百通りあるわけで、自然数に限っての話である。いわゆる「九九」は、「ににんがし」から「くくはちじゅういち」までなので、「一の段」はなかった。したがって実質的には六十四通りしかなく、交換法則も受け入れれば三十六通りまで減らせる。前述のとおり、暗記で片づけようとすると、中学で数学を学ぶときに躓くことがある。
  • 「リットル」「デシリットル」「ミリリットル」の換算について学習する。ただし、都市部では「デシリットル」という言葉は日常生活では殆ど使われていない。そもそも「デシ」や「ヘクト」もあまり使われておらず、皮革などで「1デシ=10cm×10cm」が使われたり、「ヘクタール」(百アール=百メートル×百メートル)が使われたりするために、生活単位の一部として教えられているだけの話である。「一畳」「一坪」、「一寸」「一尺」「一間」「一丈」、「一貫目」などは、秤量法をメートル法で統一しようという指導方針を徹底する際に厳しく教えられたという。したがって、「五寸釘」「九寸五分」などはメートル法で表現しなければならないらしい。実際に、「一升瓶」は「1.8リットル瓶」と呼ばれていたが、最近は「2000ml入り紙パック」が普及しつつあるため、死語になりかかっている。「四合瓶」も、「720ml瓶」と呼ばれつつある。

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三年生[編集]

  • 乗法のルール(交換・結合・分配など)や0の乗法、10の乗法を学習する。とはいえ「0とは何か」に関して小学校三年生に教えられる小学校教諭はほとんどいない。
  • 除法(割り算)を学習する。「余り」という概念は小数・分数をより深く学習するまでしか使わない。とはいえ循環小数に関しては先送りされるようである。
  • 小数について学習する。
  • 分数について学習する。分数の簡単な加法・減法も学習する。ただし、ユークリッドのアルゴリズムについては教えられないので分数における{約分}や{通分」の指導においで手間が増え、「最大公約数」と「最小公倍数」と「自然数の積」などの関係を児童に理解されるように教えられる教師は稀少である。

すなわち、「小学校三年生以下の児童には、徹底的に計算課題をやらせろ」という教師側の(あるいは算数教科書の指導書に示された)思惑あるのだが、「1から100までの自然数をすべて足せ」といった課題に対して五分もかからずに「5050」と答えてしまう児童は「ガウス(オイラーだったか?)の再来だ!」と称賛されるどころが「チートだ」と教師に目をつけられて虐待の対象になるらしい。

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四年生[編集]

  • 億・兆の概念を学習する。
  • そろばんの仕組みや読み方、加法・減法を学習する。ここでようやく「五・二進法」[4]を知ることになる。
  • 分数についてより深く学習する。「帯分数という、日常生活は勿論、中学以降の数学でも殆ど使わない概念もここで学習する」という意見もあるが、有効数字はまだ教えられていないので、「円周率≒7/22=3+1/7」ももちろん使ってはいけない。

ただし、「既約分数の形で示さなければならない」という制約があるために、ユークリッドのアルゴリズムを教えられていないために「約分」は試行錯誤によるしかない。ただし素因数分解はまだ教えられていない。
すなわち、「教科書に載っていなくて、学校で教えられていないことをテストで使ってはならない」というルールを徹底的に叩きこまれるのがこの時期であり、そのルールに従わない児童は教師によって「問題児」とみなされて「指導」を「強化」され、同時にいじめを受けても学校や教師は取り合わない。

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五年生[編集]

  • 分数の約分・通分、分数と整数の乗法・除法を学習する。この段階でもユークリッドのアルゴリズムは教えられていない。

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六年生[編集]

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数学的活動[編集]

指導要領には、 『数学的活動とは、事象を数理的に捉えて、算数の問題を見いだし、問題を自立的・協働的に解決する過程を遂行することである。数学的活動においては、単に問題を解決することのみならず、問題解決の過程や結果を振り返って、得られた結果を捉えなおしたり、新たな問題を見いだしたりして、統合的・発展的に考察を進めてゆくことが大切である。この活動の様々な局面で、数学的な見方・考え方が働き、その過程を通して数学的に考える資質・能力の育成を図ることができる。
これは、「児童が目的意識をもって主体的に取り組む算数に関わりのある様々な活動」であるとする従来の意味を、問題発見や問題解決の過程に位置付けてより明確にしたものである。』
とあるが、要するに学校教師の「嘘も方便」「あとは自己責任」という言い訳に過ぎないように読める[5]。「小学校・中学校・高校の算数・数学の教師はみんなクソだった」と断じて憚らない人は少なからずいらっしゃって、「そのせいで数学が嫌いになった」という人も少なからずいる(とくに女性に多い)。それもあってか理学・工学系の人材は不足しつつあり、「リケジョ」とかいってマスコミが持ち上げてはいるものの、肝心のメディアの記事を書いている記者に理学・数学・工学系のリテラシーがないのが記事の文章から見え見えなので、まずそこから改めていただきたいと思う。

中学入試[編集]

性質上、中学入試の問題は算数の発展としてあるべきであり、三角関数二次方程式が必要な問題は出ない。一次方程式を知らなくても解けるが、よくある「○○算」は実質一次方程式と同じである。

中学入試のオーソドックスな解法は以下:

  • 公式を覚える。たとえば、追いつき問題[6]など。-
  • さまざまな数の倍数を覚える。3.14(円周率近似値)の整数倍と半分などは必須。インド式九九も覚えるべき。
  • 逆算。さかのぼって計算する方法。
  • 置き換え。連立方程式代入法と同じ。
  • 差分を考える。連立方程式加減法と同じ。
  • 結果を覚える。円に関する面積問題などでは出題内容がおおよそ決まっているため。
  • 線分図を用いる。

特徴[編集]

算数は、「読んで字のごとく『数を算える』という意味であり、『単純計算』に重きがおかれている」という見解もあり、「そろばん勘定」などと云われて貶められがちだが、現在ではコンピュータの普及により、「情報世界とデータ世界の間にI/O がある」ことが常識化しているため、手計算やソロバンによる「量感覚の養成・育成」という意味が重要視されつつある。算数と数学の基本的な違いは「量」と「数」の違いであると謂える。コンピュータ・サイエンスはデータ世界の中の話だが、コンピュータも無限に速いわけではないので単純計算(現代では、基本的に単純計算はコンピュータの仕事である)を考えねばならず、計算数学という「算数と数学のどっちなんだよ!」という学問もあり、計算量精度誤差有効数字などについて研究されている。
中学・高校では四則演算の技術を教えられる機会はほぼない。実用上、単純計算は電卓があればほぼ事足りるが、量感覚・計数感覚は身につけておくことは教養のうちである。「機械に騙されない」「数字に騙されない」ために、成人する前に関数電卓の使い方は理解しておかなければならない。

宿題[編集]

主に練習問題が集められたプリントや算数ドリルが課される。学校によっては算数ドリルとはまた別で算数の問題集(例:算数の友)が週末や夏休みなどまとまった余暇のある時期の宿題として課されることがある。
これは、「小学生の自由時間を奪う」ためであり、そんなものをやっている暇があったらパソコンの使いかたやスプレッド・シート型のアプリケーションやプログラミング言語の習得に時間を使ったほうがいい。プリントやら算数ドリルやらは資源の無駄遣いであり、その予算があったら動的コンテンツをサポートできるサーバーを構築し、Web 環境用の教材を作ることを考えたほうがよい。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. a b 小学校学習指導要領”. 文部科学省. 2022年12月30日確認。
  2. 北海道では教えないと死活問題だよね。でもアメリカでは北部でも死活問題にならないらしい。
  3. しつこいけど、北海道では教えないと死活問題だよね
  4. 水道方式を参照のこと。
  5. その点、塾教師や予備校教師は逃げ場がないので、教育に熱心である。学校で「お客様」というと「教師の指導に従わない児童・生徒・学生」をいうが、塾や予備校では「お客様」は目の前にいる児童・生徒・学生であり、飯の種なので疎かにできず、「ごはん粒を残すと目が潰れる」というくらいに取りこぼさないのが常識である。
  6. 「たけし君問題」とも呼ばれる。

注釈[編集]

  1. ただし□や○を使用したりすることはある。やっていることは、中学以降の数学でxやyを使用する「方程式」と全く同じである。