立石義雄
立石 義雄(たていし よしお、1939年(昭和14年)11月1日 - 2020年(令和2年)4月21日)は、日本の実業家。オムロン創業者立石一真の3男で、同社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等を歴任した。
経歴[編集]
大阪府大阪市西淀川区野里出身で、立石一真の3男。同志社大学を卒業し、昭和38年(1963年)に当時は立石電機と称していた後のオムロンに入社。常務や専務を経て、昭和62年(1987年)に社長に就任する。
社長在任中には海外展開や事業の多角化を進め、海外売上高を約500億円から約2000億円へと4倍に拡大し、オムロンを世界的な大企業に育て上げる。世界初の鉄道向けの自動改札機の運用を阪急北千里駅で開始し、日本の自動改札機の普及にも貢献した。
平成15年(2003年)に作田久男が立石氏以外で初めて社長職に就任すると、自らは会長に退いた。その後、平成23年(2011年)に名誉会長、令和元年(2019年)に名誉顧問に就任している。
平成19年(2007年)からは京都商工会議所の会頭を務め、京都経済界の顔役としても知られた。産官学が連携して経済活動に取り組む拠点・京都経済センターの建設も主導し、平成31年(2019年)3月に開館させている。令和2年(2020年)3月末に会頭職を退任して名誉会頭に就任した。
以上のような日本経済の発展に貢献した功績から、平成29年(2017年)に旭日重光章を受章した。
令和2年(2020年)4月1日、立石は倦怠感を覚え、翌日に発熱。4月5日に医療機関を受診したところ、肺炎と診断されて検査した結果、4月6日に新型コロナウイルス(COVID-19)PCR検査で陽性と判定された。その後、治療のため入院していたが、入院当初から立石氏の容体は「重症」とされていた。4月21日午前0時27分に新型コロナウイルス(COVID-19)のため、京都市の病院で死去した[1]。80歳没。
感染拡大の防止を理由に、弔問並びに香典などは辞退している。COVID-19で日本国内における著名な経済人の死去はこれが初めての事例であった。
注[編集]
- ↑ 立石義雄氏逝去 新型コロナの猛威、関西経済界にも日本経済新聞,2020年4月21日