畑山元氏
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畑山 元氏(はたけやま もとうじ、? - 天正10年(1582年))は、戦国時代の武将。畑山元明の子。安芸氏の一族で家臣。受領名は越後守[1]。
略歴[編集]
子に元季(長男)、右京太夫(次男)、元康(3男とされるが異説あり)がいる。
天文13年(1544年)に安芸元泰が死去し、わずか4歳の国虎が家督を継承した際、元泰夫人の土与松女や父の元明と共に、国虎が17歳になるまで補佐したといわれている[2]。
永禄11年(1568年)、長宗我部元親並びにそれに味方する国衆の圧力を受けて、所領の大忍庄を失陥している[3]。
永禄12年(1569年)8月、主君の安芸国虎が長宗我部元親の攻撃を受けて自害した際、自害する直前の国虎からその遺児である千寿丸を託され、次男の右京太夫と共に阿波国に落ちた。後に天正10年(1582年)に中富川の戦いで戦死した[4]。