畑山 右京太夫(はたけやま うきょうだゆう、? - 天正10年(1582年))は、戦国時代の武将。畑山元氏の次男。安芸氏の一族で家臣[1]。
兄に元季、弟に元康がいる。
永禄12年(1569年)8月、主君の安芸国虎が長宗我部元親の攻撃を受けて自害した際、自害する直前の国虎からその遺児である千寿丸を託され、父と共に阿波国に落ちた。後に天正10年(1582年)に中富川の戦いで父と共に戦死した[2]。