甲良宗広
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甲良 宗広(こうら むねひろ、天正2年(1574年) - 正保3年3月17日(1646年5月2日)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活動した大工である。甲良豊後守宗廣ともいう。
天正2年(1574年)、近江国犬上郡甲良庄法養寺村(現滋賀県犬上郡甲良町法養寺)出身で、滋賀県甲良町に甲良豊後守宗廣の像がある。
慶長9年(1604年)に江戸に下り、寛永9年(1632年)から江戸幕府の作事方大棟梁となり、芝増上寺台徳院霊廟、芝増上寺三門、日光東照宮、寛永寺五重塔の造営(再建)を行った。京都で修業し、江戸では徳川家康・徳川秀忠・徳川家光に重用された。正保3年(1646年)に近江で死去した。73歳没。
『甲良家由緒書』によれば、近衛家の門の造営の功により従六位左衛門尉、京都の吉田神社造営の功により豊後守を許されたという。