由比正純
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由比 正純(ゆい まさずみ、? ‐ 永禄12年(1569年))は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。駿河国川入城主。受領名は出羽守。
略歴[編集]
由比正信の子。父が永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて戦死したため、家督を継いだ。この戦いで主君の今川義元も戦死したため、正純は義元の嫡子・今川氏真に仕えることになる。
今川氏は義元の死後は衰退し、家臣団は武田信玄などと通じるなど分裂するが、正純は最後まで氏真に従った。武田信玄が永禄11年(1568年)12月に甲相駿三国同盟を破棄して駿河侵攻を開始し、駿府館を落とされて氏真が遠江国掛川城に逃れる際にもこれに従う。しかし掛川城も三河国の徳川家康に包囲されて今川軍は籠城し、正純はこの籠城戦の最中に戦死した。