清安寺 (山陽小野田市)
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清安寺(せいあんじ)とは、山口県山陽小野田市大字厚狭1509に存在する寺院である。宗派は浄土宗。山号は意翁山。
概要[編集]
平安時代中期の承平元年(931年)に創建されたと言われる。当初は真言宗を宗派としており、不動明王を本尊としていたことから明王山不動寺(みょうおうざんふどうじ)と言われた。
周防国・長門国が大内氏の支配下になると、大内氏から歴代の祈願所として庇護を受けて大いに栄えた。しかし一時的に衰退し、弘安元年(1278年)に行宿梵阿により再興された際に浄土宗に改めたという。
大内氏に英主・大内義興が現れて全盛期を迎えた際、永正16年(1519年)に義興から当寺院の不動尊に深く帰依する見返りとして、不動堂を建立して寺領100石を与えられ、再度寺運は興隆した。義興の死後、長男の大内義隆が家督を継ぎ、その重臣に冷泉隆豊という名将がいたが、この冷泉は不動寺を自らの菩提所として50石を寄進した。しかし冷泉は大寧寺の変が起こると、主君の義隆を守るために忠を尽くし、義隆に最後まで従って介錯を務めると、自らも陶隆房の軍勢に突撃して戦死を遂げた。この際に不動寺も焼かれてしまうことになる。
永禄5年(1562年)、陶隆房改め晴賢を滅ぼして旧大内領を支配下に置いた毛利元就の手により、不動寺は再建された。冷泉の夫人はこの時点でも存命で、彼女は夫の死後も長命を保って江戸時代前期の寛永2年(1625年)に没した。夫人の遺体は不動寺に葬られたが、彼女の法号である清安大姉から寺の名前を清安寺と改名したと言われている。
現在も不動堂には不動明王が祀られており、俗に日本三体一つ目白不動と称して崇敬が集められている。