浜松御在城記

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浜松城御在城記(はままつじょうございじょうき)とは、戦国時代史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者は浜松藩主・青山忠雄の家臣・永井随庵と推定され、成立年代は延宝年間末期から天和年間と推定されているので、江戸時代前期から中期に移りかわる頃である。

内容[編集]

全1巻。徳川家康遠江国に入国した永禄11年(1568年)から、天正10年(1582年)に武田氏を滅ぼすまでの15年間、いわゆる対武田15年戦争の時代を編年体で記録したものである。題名については、恐らく遠江国に入国してから浜松城を家康が拠点にして武田氏と戦い続けたことからの由来ではないかと推定される。江戸時代に浜松城は譜代大名にとって幕閣への出世城といわれており、その点でも浜松城を強調したかったのではないかと推定される。

家康が武田信玄と同盟を結び、駿河侵攻した信玄に呼応して今川氏真の所領である遠江国に攻め入る所から始まる。家康にバイアスを置いているため、信玄の盟約違反などが記録されており、信玄の死去は野田城の戦いの際の鉄砲による銃撃傷によるものとされている。信康事件についても、織田信長が家康に圧力をかけたことにされているが、その理由は信康の妻で信長の娘である徳姫が信長に讒訴したことになっている。最後は武田征伐で信長・家康連合軍が武田勝頼を滅ぼしたが、この際に信長が武田の残党を徹底的に根絶やしにしようとしたことに対して、家康は彼らを庇護して匿ったと、家康に対して徹底的にバイアスを置いた展開となっている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]