桔梗城 (下野国)
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桔梗城(ききょうじょう)とは、栃木県芳賀郡茂木町小井戸461番地にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
現在の茂木市街の北側にある標高165メートルの桔梗山一帯に存在した山城である。
八田知家は源義朝の落胤とする説があり、これが事実なら源頼朝の兄ということになる。建久3年(1192年)に頼朝が鎌倉幕府を開いた際に茂木郡の地頭に任命された。なお、知家の母は八田局であったことから、八田を姓にしたという。知家の子・八田知基が桔梗城を築いて居城とすると、茂木と改姓した。築城を祝して南東の方向に欅を植えたところ、吉兆を告げるように繁茂したことから、茂木と改姓したと言われている。
知基の玄孫・茂木知貞は後醍醐天皇に属してその綸旨を賜り、茂木郡の所領を安堵されたが、足利尊氏が建武政権から離反すると尊氏に従う。そしてその息子の茂木知政が常陸国・下野国から関東・美濃国・京都方面など足利軍の武将として各地を転戦して北畠顕家・新田義貞らと戦い武功を立てた。これらの事績から桔梗城を中心にして茂木氏の勢力は大いに拡大した。
慶長7年(1602年)、佐竹義宣の出羽国秋田藩への移封に従って、共に秋田に移ったため、桔梗城は廃城となった。
現在は茂木城山公園となっている。城郭の広さは東西はおよそ440メートル、南北がおよそ420メートル余りで、かなりの城だったようである。現在は本丸跡や2の丸跡、土塁、空堀などが現存している。また、毎年4月中旬にはふるさと茂木春祭りが開催されている。