栂牟礼城
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栂牟礼城(とがむれじょう)とは、現在の大分県佐伯市上岡にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
この城は標高223メートルの栂牟礼山上にかつて存在した山城である。築城に関しては確かではないが、戦国時代の大永年間に豊後の国司であった大神氏の流れを汲む佐伯惟治により築城されたとされている。佐伯氏は豊後を支配した戦国大名・大友氏に仕え、天正14年(1586年)の島津義久による豊後侵攻の際には、当時の佐伯氏第15代当主・佐伯惟定は堅田合戦で島津軍を破り、さらに籠城して島津軍を撃退するなど、後に九州征伐を成し遂げた豊臣秀吉から激賞されるほどの活躍を見せた。しかし文禄2年(1593年)、秀吉の命令で大友家が改易になると、佐伯氏も運命を共にして栂牟礼城から去った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、高政は幕藩体制下における豊後佐伯藩主となり、慶長6年(1601年)には新たな居城として豊後佐伯城を築いてここに移り、栂牟礼城は廃城となった。
現在は山頂部に本丸と2の丸跡の平坦地が残っており、栂牟礼山中の至る所に空堀跡が現存して往時の城の有様を伝えている。