佐伯藩
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佐伯藩(さえきはん/さいきはん)とは、江戸時代を通じて豊後国に存在した小藩である。藩主家は外様大名の毛利氏であるが、長州藩の毛利氏とは血縁的に関係はない。石高は2万石。藩庁は佐伯城。現在の大分県佐伯市に存在した。
概要[編集]
文禄2年(1593年)に大友義統が豊臣秀吉によって改易されると、豊後国には豊臣政権の諸将に所領が与えられ、佐伯には太田一正が入封する。しかし太田は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して改易となる。
慶長6年(1601年)、豊後国日田郡隈府から毛利高政が海辺郡に2万石を与えられて佐伯に入り、ここに佐伯藩が立藩する。以後、毛利氏が12代にわたって支配して明治維新、廃藩置県を迎えて佐伯藩は消滅した。
この藩は小藩であったため見るべきところはほとんどないが、文化の藩として知られており、第10代藩主の時に江戸幕府に対して書籍2万冊を献上したことがある。
歴代藩主[編集]
- 毛利家(藤原氏流毛利家)
外様 2万石
- 高政(たかまさ)〔従五位下、伊勢守〕森高次の子。
- 高成(たかなり)〔従五位下、摂津守〕毛利高政の長男。
- 高直(たかなお)〔従五位下、伊勢守〕毛利高成の長男。
- 高重(たかしげ)〔従五位下、安房守〕毛利高直の長男。
- 高久(たかひさ)〔従五位下、駿河守〕豊後森藩主・久留島通清の四男。
- 高慶(たかやす・たかよし)〔従五位下、周防守〕豊後森藩主・久留島通清の六男。
- 高丘(たかおか)〔従五位下、周防守〕毛利高慶の子・毛利高通の子。
- 高標(たかすえ)〔従五位下、伊勢守〕毛利高丘の次男。
- 高誠(たかのぶ)〔従五位下、美濃守〕毛利高標の長男。
- 高翰(たかなか)〔従五位下、若狭守〕毛利高誠の長男。
- 高泰(たかやす)〔従五位下、伊勢守〕毛利高翰の子。
- 高謙(たかあき・たかかた)〔従五位下、伊勢守〕毛利高泰の長男。