林泉寺 (上越市)

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林泉寺(りんせんじ)とは、新潟県上越市中門前に存在する寺院である。上杉謙信が虎千代という幼少の頃に過ごした寺として著名である。宗派は曹洞宗。山号は春日山。

概要[編集]

春日山駅の北西およそ2キロの地点に存在する寺で、春日山神社から北東へ歩いて10分ほどの山麓にある。

この寺は上杉謙信の祖父長尾為景の父である長尾能景越後守護代として明応6年(1497年)に建立し、曇英恵応を開山に招いたと伝えられている。以後、この寺院は長尾氏、すなわち上杉氏の歴代の墓所となった。

上杉謙信は当初、嫡子ではなかったため、父の命令で僧侶として育てられ、幼少の頃に林泉寺に入れられた。当時の住持であった天室光育は虎千代と当時は名乗っていた謙信をよく補導したが、謙信は僧侶としての修行より兵法を学んだりすることに興味を寄せたと伝わっている。謙信の没後、上杉景勝の時代である慶長3年(1598年)に豊臣秀吉の命令で会津に移封された際、林泉寺も会津、関ヶ原の戦いを経て米沢に移されたが、景勝に代わって春日山城主として30万石を領する大名となった堀秀治は、寺領200石を寄進して再建した。慶長15年(1610年)、秀治の遺児・堀忠俊の時代に堀氏改易されたが、その後も歴代の越後高田藩主の帰依を受けて栄えた。

この寺は寛永年間(1624年 - 1644年)と弘化4年(1847年)の2回にわたって失火により焼失したが、そのたびに再建されて現在に法灯を伝えている。

寺院内には本堂、宝物館、室町時代の様式を伝える庭園など、静かなたたずまいを感じさせるものが多い。惣門は春日山城の裏門を移築したものと伝わっている。また、謙信の墓所や武田信玄との川中島の戦い戦死した供養塔などもある。宝物館には謙信自筆と伝わる額や自作の木像、肖像画、刀剣、馬具、甲冑などが展示されている。

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