松田盛秀
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松田 盛秀(まつだ もりひで、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。父は不詳。妻は北条綱成の妹。子に憲秀、娘(御宿某室)[1]。
略歴[編集]
仮名は弥次郎[2]。受領名は尾張守[2]。名の盛は北条早雲(伊勢宗瑞・盛時)の偏諱と考えられている[2]。後北条家の宿老として天文14年(1545年)に駿河吉原城将を務めた[2]。
天文8年(1539年)の武蔵浅倉寺奉加帳に見えるのが史料上の初見である[2]。天文13年(1544年)閏11月までに北条綱成の妹を妻に迎えている[2]。小田原衆筆頭を務めた[2]。
天文24年(1555年)2月から永禄元年(1558年)4月までに家督を子の憲秀に譲って隠居している[2]。史料上では永禄2年(1559年)の役帳を最後に見られないため[2]、この前後に死去したものと推測される。