木下富美子

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木下 富美子(きのした ふみこ、昭和41年(1966年10月13日 - )は、日本政治家東京都議会議員(2期)。活動名および議員名簿上の表記は木下ふみこ無免許運転により交通事故を起こしながら、それを隠蔽して都議として当選し、当選後は議員として活動せず雲隠れして議員報酬だけを受け取っている人物として知られている。

来歴[編集]

事故前まで[編集]

愛知県名古屋市出身。名古屋市立富士見台小学校名古屋市立千種台中学校名古屋市立向陽高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科入学と同時に上京。株式会社博報堂入社。

平成15年(2003年)、地域ブランディングを専門とするプロジェクトを立ち上げる。平成24年(2012年)、男女共同参画局に出向。平成27年(2015年)、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部より派遣で、北海道江差町顧問に就任。平成28年(2016年)、小池百合子都知事主催の「希望の塾」に入塾。平成29年(2017年)、東京都議会議員(1期目)に就任。平成30年(2018年)、都民ファーストの会東京都議団副幹事長に就任した。

私生活では平成10年(1998年)に出産を経験。娘がいるが、現在はシングルマザーなので離婚しているものと思われる。

事故後[編集]

令和3年(2021年7月2日、都議会選挙期間中に木下は無免許で運転していたところ、人身事故を起こした上に逃走するという事件を起こした。にも関わらず、この事件を隠蔽して公表せず、7月4日に都議の再選を果たした。再選後の7月5日に事件が明らかになると木下には批判が集中。辞職を求める声があふれた。都民ファーストの会は当初、木下を擁護したが世間の批判が思った以上に強まったことから、当面の間は党員資格停止するという処分から除名処分(7月5日付)に切り替えた。

除名されたにも関わらず、木下は議員として活動することを表明。1人会派である「SDGs東京」を立ち上げた。これらの行為は議員としての報酬を目的にした延命と見られており、木下には大きな批判が向けられている。謝罪も説明もほとんど果たしておらず、無免許運転と事故が明らかになると、体調不良を理由に都議会を欠席するなど約3カ月間にわたり、雲隠れを続けている。なお、約3カ月間にわたる雲隠れのため、都議会は木下に対して辞職勧告決議を2回(7月23日9月28日)可決したが、辞職勧告決議に法的拘束力が無いため、木下は2度目の辞職勧告決議案が可決された同日付で、議員活動続行を自らのホームページで表明した。都議会局によると、議員として活動して無いにも関わらず、木下には報酬と政務活動費が合わせて月に約132万円が支給されているという。

9月17日、木下は道路交通法違反(無免許運転)容疑などで東京地検に書類送検された。10月4日、都議会は木下に事故の説明を求める文書を郵送し、10月13日に木下は都議会会期末にも議会が求めた説明に現れなかった。

11月9日、木下は都議選で再選後初めて登庁した。この際に事故について報道陣などに謝罪したものの、都議については辞職しない旨、さらに自らに議員活動を続けてほしいとの意見がある旨やこれまでの議員報酬は寄付した旨などを語っている。

11月12日東京都公安委員会は木下の運転免許を取り消す決定を行なった。

11月18日、木下は出席要請されていた公開質疑を体調不良を理由に欠席した。

11月19日東京地検5月から7月にかけて、合わせて7回無免許運転を繰り返したとして、道路交通法違反の罪で木下を在宅起訴した。しかし一方で、人身事故を起こして逃走したひき逃げの疑いでも書類送検されていたが、この容疑については不起訴となった。

11月22日、都議を辞職した。この際に辞職に関する記者会見が行われたが、印象戦略コンサルタントの乳原佳代によると「(木下の服装もお辞儀も)謝罪の気持ちがなく、自分の立ち位置が全くわかっていない」と批評している。また、木下は会見において「仕事をさせてもらえない理不尽な現実」を辞職の理由に挙げるなど、逆ギレのような発言をしている。

2022年1月25日、道路交通法違反の罪で在宅起訴された木下の初公判が、東京地裁で行われた。起訴状によると、木下は2021年5月29日から都議選投開票日直前の7月2日にかけて都内で計7回、無免許で車を運転。7月2日の無免許運転の際、男女2人に軽傷を負わせてそのまま逃走したとして書類送検されたが、ひき逃げ容疑については不起訴処分となっている。検察側は木下が2017年から1021年の4年間で交通違反を12回繰り返し、免許停止処分も過去に4回受けていた点を指摘し「極めて悪質で法令順守の意識が欠落している」として懲役10カ月を求刑した。木下は被告人質問の際に、「車に乗る必要があるのに交通違反を重ねたのはどうして?」という質問に対して、「おっしゃるほどたくさんでしょうか」という信じられない発言をした後、「でもやはり私が認識せず乗り始めたのがいけなかった。1回でも違反すれば罰金がつく認識がありましたが、免許停止につながるところまで理解せず安易にやってしまいました」と発言した。

2月15日、東京地裁より懲役10か月、執行猶予3年の判決が言い渡され、判決後の記者会見で木下は「大変なご迷惑をおかけしました。無免許運転によって失ったものはあまりに大きく日々後悔しかありません」と語っている。

人物像[編集]

木下は平成30年(2018年)から令和3年(2021年)のわずか3年間において、5回も免許停止処分を受けており、そもそも運転手として不適格と推定せざるを得ない。また、無免許に関しても、同じ選挙区から立候補していた他の候補や陣営から、木下が告示前や選挙期間中に自動車を運転する姿をたびたび目撃したと証言がなされており、運転手として全く不適格な人物の可能性がある。

著書[編集]

共著[編集]

  • 『地ブランド 日本を救う地域ブランド論』弘文堂(2006年)博報堂地ブランドプロジェクト 編著
  • 『幸せの新しいものさし 一足先に次の豊かさを見つけた11人』PHP総研(2010年)博報堂大学幸せのものさし編集部著
  • 『未来につなげる地方創生 23の小さな自治体の戦略づくりから学ぶ』日経BP社(2016年)内閣府 地方創生人材支援制度 派遣者編集チーム 編

外部リンク[編集]