御庫本三河記
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御庫本三河記(ごこほんみかわき)とは、戦国時代の史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は不明。成立年代については、著書で慶長3年(1598年)8月18日の豊臣秀吉の死去までが書かれているため、それ以降だというのはわかる。ただ、享和3年(1803年)4月の時点でかなり流布していたようであるため、江戸時代前期から中期にかけて成立した後代史料であると推定される。
内容[編集]
上中下の全3巻3冊。徳川家康の先祖、すなわち松平氏の先祖である初代・松平親氏から家康に至るまでの、三河松平氏、徳川氏に関する発展についての歴史について語っている。
- 上巻 - 徳川氏は新田氏の一族とされている。松平氏について書かれているのはそこまで多くなく、大半が家康の事績についてまとめられている。永禄3年(1560年)5月の桶狭間の戦いで織田信長によって今川義元が討たれ、松平元康が独立するまでが描かれている。
- 中巻 - 信長と清州同盟を結んでから、元亀3年(1572年)12月22日に三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗し、信玄が刑部に陣を布くまでが描かれている。
- 下巻 - 信玄の病死、長篠の戦い[注 1]、信康事件[注 2]、武田征伐、本能寺の変、小牧・長久手の戦い、秀吉の時代が描かれ、最後は秀吉が死去して「家康に国家の政務を任せ」「天下悉く家康公に帰服」「四海太平にして目出たき御代」となったところで締めくくりとなっている。
この手の記録にしては時間的なミスがほとんど見られず、三河一向一揆の原因は家康が彼らから戦費を徴収したため、とあるなど、家康に必ずしもバイアスを当てているわけではない。ただ、後代史料であるためか、信玄の死が天正元年4月(実際には元亀4年4月)になっていたり、家康が義元の存命中に元康と改名したことになっていたりする点がある。