常陸古渡藩
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常陸古渡藩(ひたちふっとはん)は、江戸時代初期のわずかな期間だけ常陸国河内郡古渡(現在の茨城県稲敷市古渡(旧稲敷郡桜川村)に存在した藩である。藩庁は古渡陣屋。
藩史[編集]
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの功により近江の山岡景友が1万石で立藩したが、慶長8年(1603年)に無嗣のため、改易となった。
同年、丹羽長重が1万石で入封する。長重は織田信長の重臣で「米五郎左」で有名な丹羽長重の長男である。関ヶ原の戦いで西軍に属して前田利長と争ったため、戦後に徳川家康によって改易されて加賀国小松城の所領は没収されて家臣数名とともに江戸品川に閉居していたが、家康に召し出されて大名として復活したのである。
長重は大坂の陣においては徳川方として武功を挙げるなどしたことから、元和5年(1619年)、長重は1万石加増の上で常陸江戸崎藩に移封となったため、常陸古渡藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
山岡家[編集]
外様。1万石。
丹羽家[編集]
外様。1万石。