尾山城
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尾山城(おやまじょう)とは、現在の金沢城跡に戦国時代に存在した日本の城である。住所は石川県金沢市丸の内。城主は佐久間盛政が務めた。
概要[編集]
金沢城は現在の金沢市のほぼ中心部、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の北端丘上に存在した城である。
この地の最初の起源は城では無く、戦国時代に蓮如によって加賀国を「百姓の持ちたる国」とした加賀一向一揆の拠点である尾山御坊(おやまごぼう)という寺院であった。
加賀一向一揆が織田信長の命令を受けた柴田勝家らによって滅ぼされると、信長は勝家の甥である佐久間盛政に加賀を与えた。盛政は御坊跡に築城を開始し、本丸や曲輪、総構などを整備し、城郭に改めて、尾山城(おやまじょう)と名付けた。なお、盛政は「鬼玄蕃」として知られる勇将であるが、意外にも行政能力もあったようで、短期間の統治で西町、南町、松原町、材木町、安江町という、いわゆる尾山八町という当時としてはかなり発達した城下町を建設している。ただ、盛政の統治が短期間で終焉したため、当時の尾山城本丸は寺院の本殿を転用したものも多かったという。
しかし天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変による信長の没後、盛政は叔父の勝家に従って翌天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉と敵対したため、戦後に捕縛されて斬首された。
その後、秀吉の計らいで賤ヶ岳の戦いで勝家を裏切ってその敗北を決定的にした前田利家に加賀が与えられ、利家は能登国小丸山城から尾山城に居城を移し、この際に城の名も金沢城と改名した。